千載和歌集について【雛人形と変体仮名と私】
お雛さまの外箱に、桜にまつわる二首の和歌を見つけました。
一首は金葉和歌集より、
もう一首は千載和歌集よりの出典でした。
金葉和歌集は、八代集の五番めの勅撰集であり、
千載和歌集は、八代集の七番めの勅撰集にあたります。
ともに、平安時代に編まれたものです。
ゴロの画像も作ったので、もう一度載せておきます。(笑)
今回は、千載和歌集ついて少し紹介してみようと思います。
千載和歌集について
後白河院(上皇)の院宣(いんぜん)により、藤原俊成(としなり)が撰者となって作られました。
静寂で叙情的な「幽玄」の歌風を追求したところに特徴があります。
ちなみに、千載和歌集の「幽玄」とは、「言葉で言い表せない奥深い美しさ」を指します。
さらに、今回調べて知ったのですが、「幽玄」にも時代性があって、
俊成のころは、
「しみじみとして静寂な余情のある象徴的な美」ととらえられ、その後、新古今和歌集の歌風に影響を与えました。
俊成以降は、華やかな美しさが注目されるようになり、
室町時代に入ると「有心(うしん)」とほぼ同意として用いられるようになりました。
「有心」とは、作者の深い心が感じられること。幽玄をさらに深め、象徴的な美を妖艶・華麗に表現するものとして藤原定家(さだいえ・テイカ)が唱えました。
「幽玄」をより理解するために、説明に使われていたことばを国語辞典で調べましたので、
そちらも載せておきます。
叙情
心になみうつ感情を表現すること。余情
詩や文など読んだあとに残る、しみじみとした味わい。
古きよきものへの回帰
「八代集」とか、「勅撰集」という言葉は知っていましたが、
それぞれの和歌集に違いがあるなんて考えもしませんでした。
八代集が収められた本の解説には以下の通り書いてありました。
構成は、『古今集』に近く、『金葉集』『詞花集』の破格をのりこえて、『古今集』への復帰を意図していることが明白である。
『八代集3 東洋文庫469』 平凡社 1987年
金葉和歌集や詞花和歌集が、古今和歌集などとは全く異なる新しい世界を切りひらこうとしていたのに対し、
千載和歌集は、再び古きよきものへの回帰をめざしていたようです。
俊成たちは、「革新的な表現もいいけど、やっぱりオールドファッションもいいよねぇ。」って思っていたのかもしれません。
直前の二つの勅撰集が刺激となって、和歌の可能性の広がりは十分に感じたと思います。
でも、だからこそ、やっぱりしみじみした味わいや深さ、静けさに戻りたくなったのかも。
俊成ってシュンゼイって読んでなかった?
撰者の藤原俊成(ふじわらのとしなり)について、大学時代、
「シュンゼイ」と読んでいたような気がして調べてみました。
本来訓読みの名前を音読みすることを「有職読み(ゆうそくよみ)」というそうです。
有職読み(ゆうそくよみ)
中世の歌学で、歌人の名を音(おん)で読むこと。
近代、それをまねて、有名人の名を音読すること。
デジタル大辞泉 小学館
例は、伊藤博文の「ひろぶみ」を「ハクブン」と読むとか、
川端康成の「やすなり」を「コウセイ」と読むことがあるそうです。
いよいよ、次回から歌について書いていきます。
もう少しおつきあいくださいね。
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