服部法照、「天神経」にツッコむ【ライターさん必詣!天満宮詣りで文章力向上?!】
大崎下島の御手洗天満宮にある大きな歌碑は、
残念ながら菅公のお作ではないものの、
庶民に浸透していた天神信仰と島の繁栄が結びついた象徴であることがわかりました。
この結論を導くのに役立ったのが、電子ジャーナルになっている 『天神経』について 服部法照 印度學佛教學研究第四十二巻第一号 平成五年十二月という記事です。
歌についての疑問は前回の記事までで、すでに解消されているのですが、
服部さんの「天神経」へのツッコミがおもしろかったので、ご紹介したいと思います。
出会えたのは嬉しいけれど・・・
服部さんは、偽経研究がご専門のようで、
この記事は、偽経「天神経」の版本を直接見る機会を得たことに端を発しているようです。
お寺に残っていた江戸時代の「天神経」の版本の実物を目の当たりにしたことは嬉しかったようですが、
その内容は、ツッコミどころ満載だったようです。
経典の全貌を示した上で、
中身は仏教の言葉を並べてはいるものの、全体で何をいいたいのか意味が不明なものである。
(185p 下段11行目)
その後も、内容の分析が続いていくのですが、
(中略)一見してとても拙いものである、とくに『天神経』の本文は、意味が通りにくい。
(186p 下段 17行目)
研究者らしい態度の服部さん
服部さんは、仏教や経文などの研究者なので、経文そのものについてはかなり厳しい分析をなさっていますが、
歌は専門外という自認がおありだったのでしょう、歌の解釈などはなさらず、さらっと紹介するにとどめています。
そして和歌には、それぞれ目的や用途が示されており、庶民の願いがよく表されている。
(187p 上段 7行目)
ここまでの分析を踏まえて、「天神経」の成立時期の推測をなさっています。
(中略)詳しい成立年代は不明ではあるが、本文や和歌のいくつかは、室町時代までにでき、江戸時代になってそれらが組み合わせられて、ここに紹介したような形になったのではないだろうか。
(187p 上段 13行目)
当時の知識人たちに物申す!
内容の分析をして、成立時期の見当をつけたものの、
いち研究者としては、当時の知識人・文化人に対して釈然としないものがあったようです。
ところでひとつ疑問な点は、このような意味がよく通らない経文や、奇妙な真言で、当時の人々はなぜ満足していたのだろうかということである。漢文や仏教に理解のある人々、例えば寺子屋で教えていた教師たちや僧侶などは不可解に思わなかったのだろうか。また、読み書きができた一般人も多かったはずである。ただ単に、意味が分からなくても唱えることに功徳があると信じてど読誦していたのであろうか。
(187p 上段 17行目)
「しかも、釈然とせんのは、当時の教師や僧侶などの知識人がこれを読んで『おかしいのぉ、こりゃ〜、まちご〜とるんじゃないんか?』と思わんかったこと。
おかしいと思っとったら、このおかしげな経文がそのまんま版本になるわけがない。」
深い知識を持つ教師や僧侶であっても、子供と同様に受け入れていたというのは、なんとなく不思議です。
活字や印刷された教科書に間違いがあるなんて、思わないものです。
そんな人たちが大人になり、教える立場になったとしても、かつて学んだ本を批判的に見直すことはないでしょう。
印刷されたものを批判的に検証する
活字になるということの恐ろしさは、
手書きの文字でなくなったというだけで、とたんに信憑性・権威性をまとうところです。
ですから、ほとんどの人は、その内容が本当に正しいかどうかを自分で確かめもせず受け入れてしまいます。
残念ながら、「天神経」を受け入れてしまった教師や僧侶たちは、版本となった経文の内容を批判的に検証する能力を持ち合わせていませんでした。
これは、知識人であっても、活字になったり、大量に印刷されたものが本当に正しいのかを注意深く見極めることは難しいということを表しています。
だからこそ、書く側は、この見せかけの信憑性・権威性の恐ろしさを知り、自分の書く内容に根拠と責任を持つ必要があるのです。
服部さんの「ところで」以降を読むうちに、
大学時代の国語学の演習で、教授に
「活字になっていることを無条件に信じるな!」といましめられたことを思い出しました。
「知識人がみなリテラシーを持っているとは限らない」という事実を再認識しておくべきですね。
天神信仰の浸透力、ハンパない!
こうしてみると、現代に生きる私からすれば、
当時の御手洗の人々が、菅公のお作とは断定できない歌碑をど〜んと建てちゃったのは、なんだかなぁ。と思いますが、
しかし、「菅公之碑」とするのはいささかやりすぎな気もします。
(菅公のお作という確証はありませんから)
これは、仮名が濁音を表しているのかどうかを調べずに作っているので、
「なすならは」は「なすならば」となっているのに、
「天か下にて」や「なかさん」の「か」は清音のままになっています。
(本来は「が」になります)
見方を変えると、「天神信仰が もはや人々に疑う余地を与えないほど浸透していた」ともいえますね。
偶然出会った歌碑から、また新しい学びを得た私なのでした。
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