明治から平成までの典拠【元号「令和」の典拠について】
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明治から平成までの元号
まずは、明治、大正、昭和、平成という4つの元号の由来を書き出してみます。
明治
聖人南面〈なんめん〉して天下を聴き、
明に向かひて治む
『易経』より
大正
大いに亨〈とほ〉りて以て正しきは、
天の道なり
『易経』より
昭和
百姓〈ひゃくせい〉昭明〈しょうめい〉にして、
万邦〈ばんぽう〉を協和す。
『書経』より
平成
内〈うち〉平〈たひ〉らかに外成る
『史記』より
地平らかに天成る
『書経』より
易経・書経・史記について
明治から平成まで各元号の典拠となった
『易経』(明治・大正)
『書経』(昭和・平成)
『史記』(平成)について、少し調べてみました。
この3つの書物は、
いずれも前漢(紀元前202〜8)の時代に書かれたものです。
前漢の建国者の劉邦は、
秦を滅ぼし、項羽との戦いに勝利した人です。
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Lukia
司馬遼太郎の小説にもなっていることとか、
戦いに敗れ、追い詰められた項羽が愛する女性、虞美人〈ぐびじん〉のその後を心配して、
「虞や虞や、汝をいかんせん」と嘆いたエピソードの漢文を読んだなぁ。とか、
虞美人草といえば、ひなげしのことですが、夏目漱石の作品にそういうのがあったなぁ。とか、ひなげしといえば、アグネス・チャンの歌だったなぁ。とか。
前漢では、紀元前136年頃、武帝が儒教を国教としたことで、
儒家の教典である五経(詩経・書経・易経・礼記・春秋)が重んじられ、
これら五経の講義をする五経博士が置かれました。
易経
易経は、
『周易』とも呼ばれる哲学書で、
孔子がその一部を作ったという伝説もあります。
書経
書経は、
伝説上の帝王、堯〈ぎょう〉・舜〈しゅん〉以来の帝王の言行を記した書であり、
『尚書』とも言われます。これもまた孔子の作という伝説があります。
史記
『史記』は、司馬遷が記した歴史書です。
司馬遷自らの記録によると、
52万6500字からなる大著です。
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Lukia
5つの部と130巻からなり、
伝説上の皇帝、黄帝の時代から前漢までの事柄が記されています。
帝王の伝記を「本紀〈ほんぎ〉」、
個人の伝記を「列伝」と言いますが、
個々の人物を中心にして項目立てをする歴史著述の形式を「紀伝体〈きでんたい〉」と呼びます。
以来中国では、2000年にわたり
「紀伝体で書かれること」が正統な歴史書として認められる条件となりました。
参考文献
【元号「令和」の典拠について】シリーズの記事執筆に際し、以下の書籍を参考にいたしました。
プレミアムカラー 国語便覧
数研出版株式会社 2018年 (ISBN978-4-410-33912-7)
倫理用語集
山川出版社 2007年 (ISBN978-4-634-05213-0)
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