意外なところから歌の出典元を知る【ライターさん必詣!天満宮詣りで文章力向上?!】
大崎下島の御手洗天満宮で見た大きな歌碑について
前々回の記事で、変体仮名を現代のひらがなに直し、
前回の記事では、品詞分解をして歌意をさぐりました。
しかし、ここで戸惑うことがありました。
歌意から受ける菅公のイメージが、
私の人生において長らく抱いてきたイメージとかけはなれているのです。
この歌の出典元は何か?
ウィキペディアによれば、菅公の歌と伝わっているものには、本当に彼の作?と疑われるようなものも多いそうなので、この歌もその類なのかなぁ。と思っていましたが、
だからこそ、出典を明らかにしなければ。とも思うのでした。
ちなみに、確実に菅公のお作といえる歌は二首ほどだそうです。
最近のインターネットの世界は、私がインターネットに初めて触れた四半世紀前とは比べものにならないほどの情報があふれています。
昔は、インターネットの情報は怪しいものが多い。なんて言われていましたが、
それぞれの道に詳しい人たちが情報を寄せ、その詳しい人たちの間で検証されるようになってきたので、
本格的な調べ物の手がかりやヒントを得る「手始め」としては、十分な情報が含まれています。
私も、この歌の出典が知りたくて、歌を入力してネット検索をしてみたのですが、
思いがけずおもしろい記事を見つけました。
『印度學佛教學研究』と天神信仰?
電子ジャーナルの公開支援サイト、J-STAGEに収録されていた
『天神経』について 服部法照 印度學佛教學研究第四十二巻第一号 平成五年十二月 です。
どうつながるのか皆目見当がつかない・・・
また、著者のお名前からしても、文学研究者というよりは、仏教に明るい方のように思われます。
そんな方が、菅公の歌をどのように扱っていらっしゃるのか、気になって読みすすめました。
結論からいうと、この歌碑の歌は、菅公のお作ではありませんでした。
以下、服部さんの記事の内容をもとに歌と私がこれまで抱いてきた菅公のイメージとのギャップが生じた理由を考えていきます。
「我たのむ人をむなしくなすならば天が下にて名をばながさむ」は、
『天神経』におさめられている四首のうちの一つです。
服部さんによれば、
『天神経』は、日本で撰述された偽経である。
この「偽経」が何なのかについては、「印度學佛教學研究」という専門ジャーナルでわざわざ述べる必要はないので、さらっと流されていますので、私なりに解釈してみます。
偽経の「偽」は、「にせ、いつわり」などの意味がありますし、
数学だと「正しくない」という意味ですから、(対義語は真)
本物ではないお経とか、土着的・ローカルなお経、庶民にも信仰を行き渡らせるために本物のお経に似せてそれっぽい、ありがたみがある演出を施したお経のことを指すと思われます。
さらに、「日本で撰述された」とありますから、
仏教が伝来した国や地域それぞれに、このような偽経が存在するのではないでしょうか。
「天神経」とは、今風にいえば、天神さま(菅公)と仏教のコラボです。
難しい言葉だと、神仏習合(しんぶつしゅうごう)といいます。
この「天神経」は、江戸時代の寺子屋や毎月25日に行われる天神講で唱えられていた偽経で、
服部さんは、中世・近世の庶民信仰を知る上では欠かせない資料だとしています。 以下の記事一覧に他のボリュームのブログカードを載せています。途中のボリュームからお読みになった方はこちらからどうぞ。
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