歌意からぶれる人物像【ライターさん必詣!天満宮詣りで文章力向上?!】
大崎下島の御手洗天満宮で出会った菅公のでっかい歌碑。
変体仮名が散りばめられているのに惹かれたのですが、
なんと書いてあるのかが読めた後、歌の内容が気になってきました。
そこで、今回は品詞分解をして、どんな意味の歌なのかを考えてみようと思います。
文法的なポイントから読み解く歌意の骨組み
詳しい文法の説明は省略いたしますが、
ポイントは第三句にある「未然形+ば」の仮定(〜ならば)と、
第五句にある係り結びの法則。
骨組みとしては、
「(第三句までのこと)であるならば(我が)名を流し(去っ)てしまおう」となります。
条件が満たされない・達成されないならば、俺の名前なんて流したってかまわない!
名前をとどろかせる意味はない!って言っているわけです。
菅公、実はめっちゃギラギラ?!
では、菅公の高名・ネームバリューを賭けるほどの条件とはなにか。
それが第三句までに書いてあることなんですね。
「我たのむ人をむなしくなすならば」とは、
私(菅公)のことを頼りにしている人たちのその思いをむなしくする(台無しにする)ようなことがあれば
と訳せます。
要するに、自分を頼ってくれる人たちの思いや努力が無駄になるようなことがあれば、
私は天下に聞こえた我が名を流し去ったってかまわない。
って言っているわけです。
逆にいえば、安心して私を頼りなさい(信じなさい)。我が名に賭けて、あなたたちの努力や思いを無駄にはしない!
と詠っているわけですね。
現代の受験産業において、自らを「合格請負人」と称する先生がいたりしますが、
そんなイメージでしょうか。
ド〜ンと任せなさい!
自分の名前や、年俸・将来を賭けたっていい。
俺には、君たちが望む結果を絶対に授ける自信があるから。
菅公って、こんな尊大な人だったの?
人柄を知りたいなら歌の出典を探るべし?!
政治的に陥れられて、太宰府に左遷され、不遇のうちに亡くなったのち、
宮中に雷を落としたといわれる菅公ですが、
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」なんて
優しい、ほっこりした歌を詠む人がこんな自信満々な歌を詠むというのは、ちょっと考えにくい。
たいていは、いい人なのに生前ひどい目に遭い、死後祟るので、その怒りやむなしい気持ちを鎮めるために、神として祀るのです。
いったい、この歌はどの歌集に含まれているのか。
出典元のヒントを探るべく、ネット検索をしたら、面白い論文に出会いました。
この論文のおかげで、私の中の菅公のイメージは保たれたのです。
その論文の内容紹介は、次回の記事にあらためます。
以下の記事一覧に他のボリュームのブログカードを載せています。途中のボリュームからお読みになった方はこちらからどうぞ。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません