ParaDo(パラドゥ)攻めてる!爪に萬葉集(その4)
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コンビニコスメのParaDo(パラドゥ)の2022年秋ネイルのテーマは「恋歌」。
萬葉集の第八巻に収められている日置長枝娘子(へきのながえのをとめ)の歌が使われています。
この歌の直後には、大伴家持(おおとものやかもち)が答えた歌が載せられています。
この二首がペアになっていると考えられているようですが、
調べていくうちに、私は厳密なペアだとは考えられなくなってきました。
根拠としては、
○ 娘子と家持の歌の内容がビミョーにかみあっていないこと
○ 娘子の歌に「消ぬべく 思ほゆ」という相聞歌(主に恋人同士が詠み交わす歌)の定型が用いられているのに、
秋の相聞歌ではなく、秋の雑歌に収められていること
が挙げられます。
今回は、なぜ、娘子と家持の歌が秋の雑歌に収められているのかについて
私なりの推理をご紹介してみようと思います。
推理1:元は相聞歌だった
日置長枝娘子(へきのながえのをとめ)は伝未詳となっていますので、
彼女についての情報は一切ありません。
だから、彼女がどこで生まれ、どう育ち、どんな人と恋に落ちたのかなどは全くわからないのです。
歌に相聞歌の定番「消ぬべく 思ほゆ」が使われているので、
元は相聞歌であったと仮定してみます。
すると、娘子には相聞歌を詠み合う恋人がいたと想定できます。
実は、この娘子の歌には、恋人からの返答歌があったのですが、
娘子の歌のクオリティと著しい差があった。
つまり、めっちゃ下手だった。
萬葉集の編纂者(家持が担当だったのかも?)は悩みます。
(う〜ん、娘子の歌はすごくいいのに、男の方の歌がなぁ。。。)
(相聞歌に載せたいけど、男の方の歌がなぁ。。。)
(男の方の歌がなぁ。。。)
そして編纂者は苦肉の策を打ち出します。
(娘の歌だけ載せちゃえ!)
(相聞歌は、男の歌も載せないといけないけど、
雑歌なら娘子の歌だけ載せたって問題ない!
そうだ、そうだ、そうしよう♪)
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Lukia
娘子の恋人、かわいそうですね。
推理2:娘子の仮想恋愛で詠んだ
現代でも、シンガーソングライターや小説家など人々の心に刺さる作品を紡ぐ人がいますが、
娘子もそのたぐいだったのかもしれません。
作品を心情豊かなものにするには、自身の実体験があったほうがよいのでしょうが、
才能豊かな人は、他者の体験を自分の体験のように描き出すことができるものです。
娘子は、かつて経験した恋や、身近な人の恋をもとに、
今自分が恋しているわけではないのだけれど、
あたかも現在恋をしているかのように詠んでみせたのかもしれません。
恋をしていると、秋はこういう思いになっちゃうよね〜。
という感じで詠んでいたものを、編纂者が見つけて採録したのかもしれません。
推理3:家持はわざとずらした
日置長枝娘子は、伝未詳な上、萬葉集に採録されているのはこの一首のみであるのに対し、
大伴家持は古典や日本文学史で必ず目にするような有名人です。
娘子と家持の関係ですが、
娘子に関する情報がなにもないため、二人がどんな関係だったのか、
そもそも関係があったのかどうかもわかりません。
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Lukia
家持の方に娘子とのエピソードが残っていてもよさそうなものですし、
娘子は、伝未詳ではなく、家持と恋愛関係にあった。と書かれるのではないかと思います。
私は、この二人には面識がなかったと思います。
萬葉集に採録された詠み手と、編纂者という関係だったのではないかと思います。
私の想像はどんどん膨らみます。
日置長枝娘子が大伴家持よりもずっと年上で、なんなら娘子はもうこの世を去っている。
しかし、歌だけは伝承されていて、家持がそれを萬葉集に採録したのではないか。とも。
時空を超えて、歌だけでつながっているなんてのもなかなか素敵な関係ですよね。
娘子の歌が採録された理由が、推理1か推理2のどちらかだったとして、
さらに、娘子と家持の間にも関係性がなかったとすると、
「大伴家持の和せし歌一首」としながら、彼の歌が、娘子の歌への返答歌としては 微妙に内容がかみあっていないのには理由があると思われます。
返答歌の有無に関わらず、娘子の歌は、ただそれだけで素晴らしく、
必ず採録したい一首だったのでしょう。
しかし、相聞歌に収録するには、返答歌が必要です。
家持ほどの人なら、娘子の歌にふさわしい返答歌を作ることは造作もないことだったでしょう。
しかし、そうなると、二人の歌は、相聞歌に収録されることが適当であり、
家持と娘子は恋愛関係にあったという偽りが生じてしまいます。
(そ〜れは、マズい。)
家持は思います。
萬葉集は、雑歌(ぞうか)・相聞歌・挽歌の三大部立で成り立っています。
そのうち雑歌は、他の部立に入らないものが種々雑多に収められているので、
恋の歌としてすばらしい娘子の歌を雑歌に入れても不自然ではありません。
本来ならば相聞歌に入れたいこの歌が、ぽつんと存在していることが
家持にはしのびなく思われたのでしょう。
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Lukia
ですから、ぱっと見、相聞歌に思われるような歌を「和した」のです。
(よく読めば違うんですけどね)
内容を完全に合わせてしまえば、相聞歌に含めるべきでは?と思われてしまう。
でも、それでは恋愛関係の捏造になってしまいます。
だから家持は、秋の草花つながりで萩をとりあげ、(尾花だといかにもになっちゃいそうだから)
歌意も「君に我が家の萩を散る前に見せられてよかった〜」なんてトンチンカンなものにしたのでしょう。
日置長枝娘子の歌をどうにか採録したくて
大伴家持があれこれ計略を巡らせた結果が、あの二首の並びに表れているのかもしれません。
萬葉集、おもしろい!
思いがけず4回にわたる内容になってしまいました。
何気なく文字に惹かれて、あれこれ調べたら、
思いがけず推理・妄想を繰り広げることになり、おもしろい経験ができました。
また歌との偶然の出会いがあればいいな〜と思います。
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