ParaDo(パラドゥ)攻めてる!爪に萬葉集(その3)

2022年12月12日古典文法,古文

読了時間: 約31

爪に萬葉集

コンビニコスメ、ParaDo(パラドゥ)の2022年秋のネイルテーマは「恋歌」。
パラドゥ ミニネイル 2022年秋 恋歌シックだけどなかなか攻めた色使いなんです。

そして気になったのが、ネイルに添えられていた歌。
調べてみると、草書まじりで書かれた日置長枝娘子(へきのながえのをとめ)の歌でした。
(萬葉集第八巻、秋の雑歌におさめられています)
日置長枝娘子の歌秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも吾は思ほゆるかも

秋らしくなってくると尾花(ススキ)の上に置く露のように私は(我が身も)きっと消えてしまうだろうと思われることです

大伴家持の和せし歌一首

この切ない歌、その後どうなったの?と思いますが、
実は、この日置長枝娘子の歌の直後に大伴家持の歌が載せられていて、
「大伴家持の和せし歌一首」とあります。
我がやどの一群萩を思ふ児に見せずほとほと散らしつるかも

我が家の庭の群立つ萩を、好きな人に見せないで危うく散らしてしまうところだった。
新 日本古典文学大系2
萬葉集二 より

大伴家持(おおとものやかもち)は、奈良時代の公卿・歌人で、萬葉集の編纂にも関わっています。
ちなみに、お父さんの名前は「旅人(たびと)」といいます。

Lukia_74

Lukia

授業では、お父さんが旅をして、息子の代で家を持った。なんて覚えさせるんです。

日置長枝娘子の歌の直後にあり、「大伴家持の和せし歌」とあるので、
雑歌に収められてはいるものの、相聞歌のようにペアになっています。

家持のいう「思ふ児」は、日置長枝娘子を指していると思われます。

岩波書店の新日本古典文学大系や
小学館の新編日本古典文学全集は、
娘子が詠んだ尾花から
家持が萩を連想し、危うく散らしてしまうところだった。
(しかし、見せられた)と解釈しているのですが、

契沖の『萬葉代匠記』では、かなりロマンチックな解釈がなされています。

娘子が歌で、尾花の露のように我が身が消えてしまいそうに思えると詠んで家持に贈ったので、
家持は(いやいや)私の家の萩は(その)尾花よりももっと多くの露を帯びていて、
あなたを思う私の心と共にうちしおれてしまったのだが、
惜しくも、我が心もこのようであると表している。
萩を娘子に見せないまま、いたずらに散らせると共に、見せるべきではない心を抱えた私だけが残り、
ひとりうちしおれているとある。

つまり、契沖は、
家持が娘子に対し、
「あなたの思いより、私の思いのほうが強いですよ。
その思いを分かち合うように思えた萩も散ってしまって今はなく、
私は一人残されてうちしおれています。」
と詠み返していると解釈しているのです。

Lukia_74

Lukia

なに、契沖ってめっちゃロマンチストじゃん!

図書館でひとり震えた私でした。(笑)

娘子と家持の歌はペアなのか?

インターネットで調べて、これが日置長枝娘子の歌だとわかっただけでなく、
その直後に、大伴家持の歌があり、この家持の歌も紹介されていました。

なるほど、ペアの歌があるんだね。と思っていたのですが、
調べるうち、そうは考えにくくなってきました。

返しがトンチンカン?!

解釈はおいといて、歌意だけで考えると、
この二つの歌は、イマイチかみあっていないのです。

娘子は、「我が身が消えてしまいそうに思われる」と詠みかけているのに、
家持は、「萩を好きな人に見せないで危うく散らせてしまうところだった。
(散る前に萩を見せられた)」と答えています。

Lukia_74

Lukia

「好きすぎて、どうにかなってしまいそう・・・(あなた、私のこの思いに答えてよ)」と言っているのに、
「いや〜、萩を見せられてよかったよ〜」って男が答えたら、
女性の方はムキーッ!ってなりそうじゃないですか?
こんなトンチンカンな男、こっちから願い下げよッ!ってブロックしそうですね。(笑)

契沖の解釈ならば、娘子と家持の間で、
「どっちが好きか比べ」をしているように思われるのですが、
これはこれで、ちょっとロマンチックすぎる(飛躍しすぎている)ので、
参考程度にとどめておくべきでしょう。

雑歌に収められている

そして、娘子と家持の歌が共に雑歌に収められている点も不思議です。
娘子と家持の歌が真にペアならば、「秋の相聞歌」に収められるのが自然ですが、
二首とも「秋の雑歌」に収められています。

ちなみに、萬葉集には、娘子の歌にあった「消ぬべく 思ほゆ」が使われている歌がほかにもあるのですが、
これらはすべて、相聞歌に収められています。
つまり、「消ぬべく 思ほゆ」は相聞歌の定型なんですね。

まとめると、娘子の歌だけが、相聞歌の定型「消ぬべく 思ほゆ」を使っているのに、
内容やキーワードが関連した返しの歌を伴わず、
ぽつんと雑歌に収められているわけです。

家持は萬葉集の編纂に携わっていますから、
娘子の歌がぽつんと雑歌に収められるのが見ていられなかったのかもしれません。
レモンのライン ちょうど2000字程度になりましたので、
日置長枝娘子の歌が「雑歌」に収められた理由と
大伴家持の歌との関連についての私の推理は次回の記事に改めます。

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プロフィール

Author Profile
Lukia_74

元・再受験生、元塾講師、元高校非常勤講師。広島育ち。
中・高国語の教員免許を取得するも、塾講師時代は英語や数学ばかり教えていた。
思うところあって大学再受験を決意。理転し、数学Ⅲ、化学、生物を独習する。国立大学へ合格するも、2018年3月に再受験生生活にピリオドを打つ。
モットーは「自分の予定はキャンセルできても、生徒の予定はキャンセルできない」と「主婦(夫)こそ理系たれ」。
広島のお好み焼きとグレープフルーツが大好き。どっちかというと左党。楽しみはひとりカラオケ。
高校で教鞭を取った経験から、現在は「現代文」と「小論文」の指導力アップを目指し、自己研鑽中。最近は趣味として高校数学を解く。

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Posted by Lukia_74