万葉代匠記とは【元号「令和」の典拠について】

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契沖による万葉集の注釈書

「万葉代匠記〈まんようだいしょうき〉」とは元禄3年(1690年)に完成した、
万葉集の注釈書です。

もともとは、
徳川光圀〈とくがわみつくに〉(いわゆる水戸黄門ですね)が
下河辺長流〈しもこうべ ちょうりゅう/ながる〉に依頼したのですが、
病身であった長流が契沖を推挙し、
委嘱されることとなりました。

タイトルの「代匠」には、
本来著作をなすべきだった匠(長流)に代わって私(契沖)がなすのだから、
誤りがあるだろう、
という契沖の思いが込められています。

この「代匠」という言葉には、
謙遜が込められているのか、
はたまたどこまでも謙虚な気持ちから発したのかは わかりませんが、
契沖が、完璧主義、徹底した実証主義の人であったことは間違いないようです。

初稿本と精撰本

万葉代匠記には、
黒い正方形に「初」の字が白く浮かび上がっている文字記号から始まる記述と、
黒い正方形に「精」の字が白く浮かび上がっている文字記号から始まる記述があります。

「初」は貞享年間(1684〜1688)の末頃に成った「初稿本」の略であり、
「精」は元禄3年(1690年)に完成した「精撰本」の略です。

「文選〈もんぜん〉」が典拠だといえるのか?ということが検証したいので、
万葉代匠記を読み込むことが必要となってくるのですが、

早速困りました。
なんと「万葉代匠記」、訓読文で書かれているのです。

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Lukia

漢字だけの漢文を、「白文〈はくぶん〉」といい、
レ点とか、一、二点などの、日本人が漢文を読むために編み出した記号が付されている漢文を「訓読文」といいます。
そして、その訓点に従って、日本語読みの文に直したものを、「書き下し文」といいます。
漢文を日常的に読む習慣のない現代人は、書き下し文でも意味が通らないので、現代語訳にします。

しかも当時の人は、
白文でもすらすら読んでいたからなのか、
ところどころ、いや、かなりの部分で?訓点がついていないのです。

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Lukia

契沖さ〜ん、
「つけてないけど、わかるよね?」っての、やめてください。(涙)

精撰本はボリューミー

なにしろ、筆写中は、書き下し文か、
それに近いものを作るのに精いっぱいでしたので、
しっかりと比較対照をしたわけではないのですが、
初稿本より精撰本の方がくわしくなっている(文字数が増えている)と感じました。

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Lukia

筆写したので、それだけはわかります。

偉大なる契沖に共感するなんて、おこがましいのですが、

完成稿がふくらむのは当たり前として、
なかなかの分量だった初稿から、
さらに内容を充実させてふくらませるのは
とても難しいことです。

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Lukia

そもそもガッツリだった内容に飽き足らず、
確実な証拠や根拠を求めて研究し続けるわけですからね。

知の集積を目指して

ある意味執念めいたものが感じられるのか、
国語便覧では、次のように書かれています。

契沖はあいまいだった『万葉集』の本文訓読を厳密に実施し、
一首一首に細密な注釈を加えた。
今でも契沖の読みが定説となっている部分は多い。
私情や主観を排除し、
徹底して文献に根拠を求める実証主義的研究は、
古典注釈史上前例のない画期的なものである。

有能であればあるほど、謙虚になるのは難しい。

わかることをわかるというのは当たり前ですが、
わからないことを素直にわからないというのは、
なかなか勇気のいることだと思います。

しかし、
どこまでわかっているのか、
どこからが不明確なのか、
なぜが確証が持てないのかを明らかにしておくことで、
後に続く人が解決してくれるかもしれない。

わからないことがあっても、
それは個人の限界や恥ではなく、
追究する者たちにとっての限界の一つであったと考えれば、
己〈おの〉が功名心にこだわることがばかばかしく思えてくるのかもしれません。

人間一人の「不老不死」はかないませんが、
新しい生命が生まれることで、
「種」としての不老不死はかなっています。

一人の人生でなしとげられることは決して多くはないし、
大きくもない。

しかし、集積知があるおかげで、
人類は生きながらえているわけです。

「匠」への思い

契沖が当時としては画期的と言われる実証主義的研究を行えたのは、
本人の性格によるものというのは言うまでもありませんが、
私は下河辺長流への思いが支えになっていたと思います。

「病さえ得なければ、
長流は光圀公の思いを受け、
期待に応えて必ず成し遂げたであろうに、
どんなに無念だっただろうか」と思うと、
熱が入ったのではないでしょうか。

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Lukia

日本は敵討ち的なストーリー、好きですからね。

二人の心に火をつけた男

こうして原稿を書いているうちに、
契沖や長流のことをもっと知りたくなったのですが、

さらに興味を引くのが、
二人の心に火をつけた男、徳川光圀です。

20時台の時代劇を見ていた世代なので、
徳川光圀といえば、
「越後のちりめん問屋の隠居」として諸国を漫遊し、
20時45分頃、葵の御紋が入った印籠を見せて、
悪者をひれ伏させる。

最後に「ふぉっふぉっふぉっふぉっ」と高笑いをして一件落着。という、

今書き出しても、
ツッコミどころ満載のキャラクターという印象や、

新しもの好きで、
日本で初めてラーメンを食べたなんてエピソードを知っているぐらいだったのですが、

学問や、日本という国そのものを思う熱い人だったのかもしれないなと思っています。

機会があれば調べてみようと思います。

参考文献

【元号「令和」の典拠について】シリーズの記事執筆に際し、以下の書籍を参考にいたしました。

プレミアムカラー 国語便覧
数研出版株式会社 2018年 (ISBN978-4-410-33912-7)

倫理用語集
山川出版社 2007年 (ISBN978-4-634-05213-0)
レモンのライン
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プロフィール

Author Profile
Lukia_74

元・再受験生、元塾講師、元高校非常勤講師。広島育ち。
中・高国語の教員免許を取得するも、塾講師時代は英語や数学ばかり教えていた。
思うところあって大学再受験を決意。理転し、数学Ⅲ、化学、生物を独習する。国立大学へ合格するも、2018年3月に再受験生生活にピリオドを打つ。
モットーは「自分の予定はキャンセルできても、生徒の予定はキャンセルできない」と「主婦(夫)こそ理系たれ」。
広島のお好み焼きとグレープフルーツが大好き。どっちかというと左党。楽しみはひとりカラオケ。
高校で教鞭を取った経験から、現在は「現代文」と「小論文」の指導力アップを目指し、自己研鑽中。最近は趣味として高校数学を解く。

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Posted by Lukia_74