板書に困った。(その2)【高校非常勤講師奮闘記】
高校で国語の授業をすることとなったものの、
塾講師の授業スタイルとは勝手が違うので、
高校国語の板書や授業進行の本はないかと書店で探してみることに。
結果は、残念ながら見つからず、小学校向けの板書の本を買ったのでした。
その四苦八苦の体験からも2年経った2023年。
今さらですが、なぜ高校むけの板書術・授業進行に関する本がないのかを考えてみました。
そもそも小学生にマルチタスクは無理
高校むけの板書術・授業進行に関する本がない理由を考えたいなら、
逆に、なぜこれほどまでに小学校向けの板書や授業進行の本が多く出版されているのか。というのを考えるとよいかと思います。
一番は、児童・生徒の発達段階にかなりの差があるからではないかと思います。
人間自体は、そもそもマルチタスクにむいていないのですが、
特に「つ」のつく年である、七つから九つぐらいまでの年齢では、
マルチタスクができない発達段階だと思っておいたほうがいいように思います。
ですから、板書を書き写しながら、先生の説明を理解し、
自分の考えや感想をまとめて発表する。なんてことは難しすぎるわけですね。
思い返せば、塾で小学生に国語の授業をするときも、
板書を書き写すノートなんてのは、用意させていませんでした。
文字を認識し、自分の手でその文字を再現する。とか、
横に長い黒板を、縦に長いノートに書き写す、空間感覚とかは、
小学校低学年の子どもたちには難しいことでしょうね。
というわけで、小学校の先生たちは、
児童の手を動かさないようにすることで、
残ったリソースやメモリーを目や耳、頭を使わせる工夫をしているのです。
強烈な記憶を持たせる、整理された一期一会的な板書の披露が、
あの本の多さにつながっているわけですね。
私にはまぶしすぎました。(笑)
中学生以降は、マルチタスクの訓練も必要。
しかし、中学・高校生になってくると、
板書の文字を認識し、それをノートに再現するというのは、あまり意識せずにできるようになってきます。
(ひらがなやカタカナを意識しなければ書けないという段階は過ぎています)
また、将来高等教育を受けたり、社会に出ていくわけですから、
聞きながらメモを取り、理解するという能力を養成する必要もありますよね。
先生がしゃべった言葉を書き留めるなどアレンジ力もいる(養ってほしい)ので、
教員や学校(生徒)のレベルなど個々の裁量に委ねられる部分が大きいのかもしれません。
小学校の板書や授業進行の本だって、完全に参考にするということはできないのでしょうが、
中学校や高校の場合は、小学校以上に、板書や授業進行の本があったとしても、参考にできない(需要がない)から、本が出版されないのではないかと思います。
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