ジャネーの法則が私に追い討ちをかける(その2)【持続可能なブログ更新のために】
時間の見積もりが甘くなる理由
なぜ、時間の見積もりが甘くなってしまうのか。
それは、実は忙しいことに気がつけていないからだろうと考えています。
本当は、すでにスケジュールがパンパンで時間的余裕はない状態なのに、
自分自身が気がついていないという不思議な現象が起こっているのです。
ジャネーの法則は、「年を追うごとに1年の感じ方が短くなる」というものでした。
そして、その時間を短く感じる理由は、
「記憶しておきたくなるような刺激が少ないから」ではないかと考えられます。
生まれて数年は、毎日が新しい経験で満たされています。
新しいタスクをこなすとき、体内のストップウォッチのボタンが押され、それをこなすのに、どのぐらいの時間がかかるのかを計っているのです。
若いうちは、ほぼ一日中このストップウォッチのボタンが押されているので、時間を意識していて、時間が長く感じられるのだろうと思います。
しかし、そのうち、一定の手続きとして記憶できたり、ショートカット方法を覚えたりして、計測時間が早くなり、そのうち計る必要がなくなります。
これが「習慣化・ルーティン化」です。
大人になると、ほぼ一日のタスクが習慣化・ルーティン化されているので、
体内のストップウォッチのボタンが押されることはありません。
ストップウォッチのボタンが押されないということは、
「体感時間として加算されない」ということです。
たとえば、あるタスクをこなすのに、
たとえ10分かかったとしても、
習慣やルーティンとなっているので、
その10分はノーカウントとなり、
時間はかかっていないと誤認・錯覚してしまうのです。
いわば「大人の日常は、
ノーカウントの習慣やルーティンで占められている」といえるでしょう。
実際にはあれこれやることがあって忙しかったのに、
振り返っても特に思い出せるようなハイライトやクライマックスシーンはない。
そのため、もう時間的余裕はないのに、
やりくりできる時間があるはずだと誤認・錯覚して、むちゃなスケジュールを組んでしまうのです。
私自身もときどき、一日を振り返って、
(ああ、たったこんだけしかできなかった。もっといろいろできそうだったのに)なんて自分にがっかりすることがありますが、
実はよくがんばっているのかもしれません。
体内のストップウォッチのボタンが押されず、所要時間が計測されていないから、
タスクにかかる労力を低く見積もってしまいますが、
実際には時間(や労力)のかかるタスクであり、
そんなタスクを2つ、3つこなすだけでもたいしたことなのです。
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