読書感想文に求めたいこと【生き残れ!読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!】

2022年8月16日読書感想文

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2022年現在の私の読書感想文に対する考えを書いています。
御一読いただければ幸いです。

書いてから4年経ったもんで。

「読書感想文に求めたいこと」は、2018年にも書いています。

非常勤講師として高校に教えに行ったときの体験をもとに、この2018年の一連の記事をリライトしようかと思っていたのですが、
自己研鑽のため、改めて現代文を深く勉強していて、考えが変わってきました。
もう、2018年の記事はそのまま置いといて、新たに記事を書くことにしたのです。

徹底的に「対比」する!

2022年現在、私が読書感想文に求めたいことは、
現在の自分とほかのものを徹底的に「対比」することです。

「対比」という言葉は少し難しいので、意味を紹介します。

たい‐ひ【対比】
[名](スル)
二つのものを並べ合わせて、違いやそれぞれの特性を比べること。「両者を―する」
出典:デジタル大辞泉(小学館)

つまり、「現在の自分とほかのものを徹底的に比べ」れば、読書感想文はできあがります。

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Lukia

くどいようですが、
読書感想文は、「比べまくった」ことを書けばいいので、あらすじを書く必要がないこともわかっていただけますね?

まず、対比するためには、二つのもの(人・物・事柄など)が同じ土俵に立つ必要があります。
(一つだけで比べることは不可能ですよね)

そして、同じ土俵に立った二つのもの(人・物・事柄など)には、重要な条件があります。
それは、「性質が近いか似通っていること」です。

土俵というたとえが出てきたので、相撲で考えてみますが、
大相撲の横綱と3歳のちびっこ力士では、ガチンコ勝負はできませんね。
相撲という競技ではありますが、体格差も技量の差も違いすぎます。

同じアスリートということで、横綱と男子100mの金メダリストではどうでしょう。
これも、無理でしょう。アスリートという点では同じでも、競技内容にも大きな違いがあるので、いざ土俵に立っても互いにまごついてしまうでしょう。

では、横綱とレスリング選手だったら?
(お相撲さんは、英語だとスモウ・レスラーですもんね)
だいぶんちびっこ力士やスプリンターに比べれば、いい線になってきましたが、やっぱり互いにめいっぱいの勝負はできないでしょうね。

つまり、横綱と真っ向勝負できるのは、幕内力士ということになります。
横綱も幕内力士も、相撲のルールや作法を知り、毎日稽古に励んでいるという点では、同じ「力士」ですからね。

このように、徹底的に「対比」するには、その二つのもの(人・物・事柄など)の性質が近いか似通っている必要があります。

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Lukia

この「対比」する二つのものに必要な条件は、
最近私淑している 宗 慶二(そう けいじ)先生が、著書『現代文の力を底上げする本』にて挙げていらっしゃったものです。この本、目からウロコがボロボロ落ちる名著なんですが、もう売られておらず、アマゾンの中古本ストアやメルカリでプレミアがついています。

対比の例としては、

本の中の人物と自分。
本を読む前の自分と本を読んだ後の自分。
ある状況に置かれた時の自分と他者の反応や対応の違い。

などがあるでしょうか。

同じ小学生(中学生・○歳)なのに。
似たような人間関係の中に置かれているのに。
その年齢特有の悩みや問題を抱えているのに。

など、共通点の軽重には幅があるでしょうが、
たとえ、こんなの共通点といっていいのか?と思うような気軽なものであっても、
ここは似通っていると思えば、ぞんぶんに比べてみましょう。

比べまくることが最重要ミッションなので、共通点の軽重はあまり問題ではありません。

「対比」力は学力形成に欠かせない。

なんでこうも「比べまくる」こと推しなのかといいますと、
学問にしろ、問題解決にしろ、その出発点は「対比」するところにあるからです。

二つのものがどう違うのか、なぜ違うのか。
対比し、相対化することで、問題点や、現状と理想との差が明らかになります。
逆に、その差を明らかにしないで差を縮めるアプローチや努力はできません。

対比する力は、国語・算数などの特に論理的思考力が必要な教科・科目の基礎となるものです。
(これらを学ぶことで、対比する力が磨かれるのもまた事実ですが)

昨今は、比べるということに、あまりよいイメージを持っていない人が多いかもしれません。
それは、想起されるシチュエーションの多くが、
性質が近いとか似通っている人と人(きょうだい・親子・ライバル・人種など)を比べることだからです。
たしかに、これは、嫌でしょうね。言われっぱなしで、差を詰める努力のしようがない場面が多いでしょうから。

しかし、本の中の登場人物と自分を比べる場合は、ひどく打ちのめされることは少ないのではないでしょうか。
たとえ登場人物が実在するとしても、本というフィルターがかかっているので、さほど現実味を帯びておらず、勝負事のときに感じる生々しい競争心をいだきにくいのではないかと思います。

いよいよ分が悪くなれば、「どうせ、本の中の人だし。」と片付けてしまえばいいのですから、
そうなるまでに、どんどん自発的・積極的に対比化・相対化を行い、その能力を高めていけばいいのです。

私自身が、現代文などを改めて学び直していて感じるのは、
物事を正しくとらえるためには、「対比」や「相対化」が欠かせないということです。
もちろん、ほとんどの人がすでに「対比」や「相対化」を行っているのですが、それはどちらかというと無意識や習慣的に行われているものです。
だからこそ、次世代に「対比」や「相対化」することの重要性を説くことができず、
長らく読書感想文は、何をしていいのかわからない、いやな課題となってきたのです。

次世代の人たちは、膨大な知識や技能の蓄積は機械に任せればよい社会に生きることになります。
彼らは、これまで以上に人間にしかできない能力が求められる厳しい時代を生き抜くことが求められています。

大学入試改革は、その時代からの要求を具現化しています。
大学入試が、これまでの「知識・技能」の習熟だけでなく、論理的な自己表現力をも求めるようになってきた以上、読書感想文を書くことは、自己表現力を高められる数少ない機会といえます。

自己表現力は、一朝一夕で培えるものではありません。
機を逃さず、その時最大の努力や試行錯誤を積み重ねてやっと身につくものなのです。

拙くても、失敗してもいいですから、毎度力いっぱい取り組んでみてください。
「習うより慣れろ」とはよく言ったもので、いろんな人のアドバイスを読み漁るより、
書いてみなけりゃ始まらないのです。

欲を言えばこんな読書感想文がいい。

まずは、徹底的に「対比」をして、相対的なものの見方をする力を養ってほしいのですが、
欲をいうと、こんな読書感想文だったらいいな。という私なりの理想(ないものねだり?)があります。

それは、「その子の今後が気になるような感想文」です。
あらすじはいりません。
なんなら、本について書かれているのは、タイトルだけでもいい。
本が自分のことを徹底的に考えるためのきっかけ程度の扱いだとしても、全く問題ありません。

徹底的な「対比」によって自分を分析し、現状の自分と、理想の自分を明らかにすること、
つまり、指定文字数をめいっぱい使って、「自分」のことしか書いていないような
ある意味、「我の強い」読書感想文が読めたらどんなに素晴らしいだろうと思います。

こういう「我の強い」読書感想文を読めば、この子にこんな強烈な思考体験をもたらした本はいったいどんなものだろうと興味がわくでしょうし、

文章を読み終えた私には、連続ドラマによくある、「to be continued」 と書かれた最終シーンが思い浮かぶことでしょう。この強烈な思考体験を文章にしたこの子は、その後どうなっていくんだろうという次なる興味がわいてしまうのではないかと思います。

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Lukia

大人は、次世代の人たちの「to be continued」に目がないのです。
大人たちに、「それでっ、それでっ!今後、あなたはど〜なっていくの?」と食いつかせてみたくはありませんか?(笑)

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プロフィール

Author Profile
Lukia_74

元・再受験生、元塾講師、元高校非常勤講師。広島育ち。
中・高国語の教員免許を取得するも、塾講師時代は英語や数学ばかり教えていた。
思うところあって大学再受験を決意。理転し、数学Ⅲ、化学、生物を独習する。国立大学へ合格するも、2018年3月に再受験生生活にピリオドを打つ。
モットーは「自分の予定はキャンセルできても、生徒の予定はキャンセルできない」と「主婦(夫)こそ理系たれ」。
広島のお好み焼きとグレープフルーツが大好き。どっちかというと左党。楽しみはひとりカラオケ。
高校で教鞭を取った経験から、現在は「現代文」と「小論文」の指導力アップを目指し、自己研鑽中。最近は趣味として高校数学を解く。

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Posted by Lukia_74