生き残れ!読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!【生き残れ!読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!】
記事を音読してみました
2022年10月11日、記事を音読してみました。
一発録りした上、編集なしでアップロードしております。
ちょっとかんだり、読み直しをしている部分があります。(ご了承ください)
再生速度は、三点メニューより変更できます。
次世代に求められるものが変わってきた
文部科学省が「学力の3要素」を定義しました。
その3要素とは、
- 「知識・技能」
- 「思考力・判断力・表現力」
- 「主体性・多様性・協働性」です。
これにより、大学入試が大きく変わろうとしています。
これまでの大学入試は、「知識・技能」を問い、数値化して入学する資質があるかどうかを判断していました。
しかし、大学卒業後の社会や時代が求めている人物像は、「知識・技能」を豊富にたくわえただけのいわば頭でっかちな人ではありません。
AIなどが発達してきたことで、「知識・技能」を蓄積するだけなら、機械に任せたほうがよい、あるいは人間が機械に勝てない事態となってきました。(2045年ごろ、AIが人間の知能を超える「シンギュラリティ」が起こるといわれています)
これからは、時や場合に応じて、その「知識・技能」を適切に・的確に運用できる人が求められているのです。
言ってみれば、「学力の3要素」として挙げられている2と3の要素は、シンギュラリティが起こっても、機械では代替できない人間ならではの能力です。
時代の流れが速くなったことで、ニーズが刻々と変わっていくようになりましたし、
年功序列制や終身雇用制が維持できなくなったことで、会社と勤める人との関係も浅く、ドライになってきました。
大学教育は、本来研究の場であり、社会人養成の最終機関ではないのですが、
現在の日本で、大学進学率が54.67%(2019年調べ)である以上、
「研究の場であって、社会人養成の場ではない!」とも言っていられなくなりました。
そんなわけで、どうせ養成するならすでにある程度素養がある人を。となるのは、
自然な流れだと思います。
大学が求める人物像が変われば、高校・中学校・小学校での教育も変わってきます。
文部科学省が定義した「学力の3要素」は、一朝一夕で成るものではありません。
機会を無駄にせず、あれこれ試行錯誤して身につける必要があるのです。
人生で最大12回しか書けない?!
このシリーズ記事を書くにあたり、「読書感想文」というキーワードでネット検索してみると、
かつての小学生・中学生・高校生たちのネガティブな反応が多く見受けられました。
「書き方がわからなかった」
「何をするべきかわからず、ギリギリまでやらなかった(あらすじだけ書いて出した)」
「夏休みの宿題になる意味がわからない(なくせばいい!)」など。
私にとっては、高校生だった頃すら30年以上前になってしまいますが、
読書感想文について、意義や書き方などの指導は特に行われずに、課題図書が示され、有無を言わさず原稿用紙が配られていたように思います。
その上、感想文がうまく書けたとて、受験ではそのあたりの能力を問われるわけでもなく、
特になんのメリットも得られないとなれば、
そりゃ〜憂鬱な宿題という位置づけになるのは無理もないですよね。
しかし、かつての私たちにとっての読書感想文と、
次世代にとっての読書感想文は、もつ意味合いが違います。
次世代を担う人たちには、「思考力・判断力・表現力」が求められているので、
読書感想文を書くことは、その力を養う絶好の練習・経験となるのです。
しかも、その回数はあまり多くはありません。
小学生で6回、
中学生で2〜3回(3年次は受験学年なので免除の可能性があります)
高校生で2〜3回(3年次は受験学年なので免除の可能性があります)
ちょっと大げさな言い方ですが、人生で最大12回しか練習できないのです。
今後は、確実に「思考力・判断力・表現力」が問われる世の中になっていくが、
「思考力・判断力・表現力」養う練習は最大でも12回程度しかないとなれば、
読書感想文に対する印象も変わってくるのではないでしょうか。
読書感想文を「自己PR」のサバイバルゲームととらえよう
いまひとつ、まだ切迫感を得られない方にもっとエグいたとえをしてみましょう。
エアガンを用いたサバイバルゲームは、自身は弾に当たらず、敵方の人数を減らせば勝ちとなりますね。
もう少し身近なサバイバルゲームとしては、椅子取りゲームなどもそれに含めてよいかと思います。
椅子の数が徐々に減り、最後まで椅子に座れた人が勝ちとなります。
定員が決まっているといえば、入試もサバイバルゲームの一つといえるでしょう。
そして、今後の大学入試では、「思考力・判断力・表現力」を持つ人が合格になる。という指針が示されているわけですから、この条件を満たさずに合格を得ようというのは、かなり無理があるということになります。
今はまだ採点方法が確立されていないため、大学入学共通テストに記述の問題は導入されていませんが、
今後、表現力の評価は、点数での評価と同等の扱いを受けるようになっていきます。
つまり、これからの人たちは、
自分は居並ぶライバルたちと比較して、ここが優れているという自己PRができるようになる必要があるのです。
(もちろん、すでに大人になっている人たちもこの自己PR能力は必要です)
読書感想文でするべきことは、実はとってもシンプルです。
「自分をPRする」だけ。
- 本を読むことによって、自己と他者を対比することができます。
- 自己と他者、あるいはこれまでの自分とこれからの自分を相対化することができます。
- EQ(こころの知能指数)が高いです。
- 論理的思考ができます。
- 自己を客観視する能力を備えています。
目立ちたくない、主張しすぎて嫌われたくないという当世の若者気質には逆向していますが、
人間同士の競争から、機械との競争に移行しつつある時代柄、
このサバイバルゲームを制するのは、人間らしさのPRができるかどうかにかかっています。
とにかく「自分」のことしか書くな。
このシリーズでは、「読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!」と主張することにいたします。
これからの時代をサバイヴしていくには、自己を表現する能力が欠かせないということになると、
読書感想文も心して書く必要があります。
まず、『文は人なり』ということわざがあるように、
人柄やモラル・知性など、その人の人間性がかなりあらわになってしまいます。
読む人が読めば、どういう心づもりで書いているのかというのは、如実にわかってしまいますので、
日頃からの自己研鑽は欠かさないように心がけたいですね。
また、読書感想文とは名ばかりで、実際は「自己PR」文ですから、
あらすじが「自己PR」にならないのは明白ですね。
つきつめると、自己PRがあふれかえるなら、本の内容を書く必要すらないと考えています。
それでは、これから何回かに分けて、
2022年現在、私の考える「読書感想文」の書き方について書いていこうと思います。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません