お菓子のパッケージから新古今和歌集に派生した話。
お菓子のパッケージに書いてあった変体仮名を読もうとしたら、思いがけなくあちこち派生してしまったお話です。
お菓子の袋に変体仮名!?
いただいたお菓子のパッケージに、何やら変体仮名が書いてありました。
これがさらっと読める方。なかなかの実力とお見受けいたします。
変体仮名を読むなんて朝飯前よ。(フフン。)
なんて、言いたいところですが、実際のところは、相当しどろもどろ。
大学の通年授業で、変体仮名で書かれた源氏物語の「夕顔」の巻をみっちり読まされたのですが、
今や記憶はあいまいです。
変体仮名。それは格調高い当て字。
変体仮名は、現代風に言えば、当て字のオンパレード。
「よろしく」に「夜露死苦」なんて当てるのの、もっと格調高いバージョンといったところでしょうか。
その一部が、今のひらがなに通じているわけですが、字によっては、「たしかに音読みはそうですけど、それを当てます?」っていうような字もあります。
そんなわけで、ひとつの音にさまざまな文字(漢字を崩したもの)があてられているので、ひらがなのように約50個覚えて終わり。とはならないのです。
もし統一されていなかったら、ひらがなだけで150種類以上、それに加えてカタカナや漢字まで覚えなくてはならないことになり、小学生は大変だったろうと思います。
音が同じだから。というだけでいろんな漢字が当てられているうえ、
人によって書きぐせが違ったりするので、そのバリエーションは膨大なものです。
授業では、一応厚さ1cm弱の異体字がまとめられた本が副教材として用いられましたが、その本に載っていない場合、図書館にあるぶっといくずし字の字典を引きにいかねばなりませんでした。
文字を解読して終わりではなかった。
そんな思い出はさておき。
最近は、インターネット上にちょっとしたくずし字字典のようなサイトがありますので、今回はそれを頼りに解読していきました。
前回出会った変体仮名は、引っ越しの御挨拶にいただいたタオルについていた熨斗紙に印刷された「御たおる」でした。
タオルがわざわざ変体仮名で書かれていたのも驚きましたが、タオルに「御」がついていたのも衝撃でしたね。
おしなべて
木のめもはるの
阿さみど里
松にぞ千代の
いろは古も礼る
ルビがふってある漢字は、おそらく変体仮名であると思います。
ひとまず、文字自体はなんとか解読できたものの、わからないことがいろいろと出てきました。
- 和歌のようだが、お菓子屋さんのオリジナルか、昔の有名な歌人のものなのか、わからない。
- 和歌の意味がぼんやりとしかわからない。(最後の「こもれる」はどういう意味?)
- 松や千代ということから、めでたい歌のようだが、お菓子とどういう関連があるのか。
- もしかして別の歌が載せられたパッケージもあるのでは?
お店オリジナルの歌とは考えにくい。
「こもれる」と読んで間違いないであろうけれど、意味がよくわからなかったので、「おしなべて・・・」と歌を検索してみました。
お菓子屋さんの御店主のオリジナルではないだろうとの推測もあったためです。
もし、御店主が相当な和歌の名手だとしても、自社製品のパッケージに載せるのは、相当勇気がいることだと思います。
まず、パッケージからして、おめでたい席や、あらたまった御挨拶のときに持って行くようなお菓子です。
ということは、このお菓子に触れる年齢層のメインは、中高年と考えられます。
となると、和歌をたしなむ人が目にする可能性は高くなります。
そうなると、御店主のはるか上をいく歌人が目にする可能性だってあることでしょう。
どんなに自信ある歌だとしても、ほかの人にどう評価されるのか。
歌の評価に気をもむ日々を過ごせば、お菓子作りどころではないでしょう。
お菓子に「和風・格調高い」などのイメージを添えたいなら、いにしえの名歌を引っ張ってくるほうが手っ取り早いし、心理的負担も少ない。
イメージは歌に任せ、お菓子屋さんは、その歌に負けないお菓子作りに集中すればいいだけになります。
このように、勝手に御店主の心理を推理して、いにしえの歌人のものだと推定し、
「おしなべて 木のめもはるの あさみどり」と入力してググってみました。
推理は的中。新古今和歌集の735番の歌であることがわかりました。
出典がわかったので、あとは、実際に図書館で文学全集を見たり、手持ちの国語便覧で調べたりしました。
新古今和歌集 新編日本古典文学全集 43 峯村文人校注・訳 1995年5月版 小学館 |
プレミアムカラー 国語便覧 2017年 数研出版 |
摂政太政大臣藤原良経の作。
この歌の作者は、藤原良経です。
藤原姓であること、摂政太政大臣という位からも相当な実力者であったことがわかりますね。
ちなみに、新古今和歌集には、あっさりと「摂政太政大臣」と書いてあるだけなのですが、当時はこれだけで良経を指すとわかったのでしょうし、現代で良経を指すとわかる方はこれまた相当な知識の持ち主といえますね。
ちなみに、彼は、新古今和歌集の冒頭にある『仮名序』の執筆者でもあります。
仮名序とは、かなで書かれた序文のことで、この新古今和歌集が撰集されたいきさつなどが書かれています。
(ちなみに、同様の内容が漢文で書かれた『真名序』もあります。)
ぱらぱらと本をめくってみましたが、良経の歌はたくさん選ばれているようでしたし、
冒頭の仮名序の執筆を任されてもいる。(実際の内容は後鳥羽上皇目線なのですが)
位からしても、政治的にも主流の実力者であった。
勅命を下した後鳥羽上皇とは、政治的にも文化的にも近しい間柄だったのでしょう。
さらに、1000年以上後には、お菓子のパッケージに歌が載せられている。
思わず、ひとりごちたぐらいです。(笑)
練達の即興歌。
この歌には、
「京極殿にて、はじめて人々歌つかうまつりしに、松に春の色有りといふことをよみ侍りし」という前書きがあります。
「京極殿」とは、京都の土御門南、京極西にあった御殿で、藤原道長の建てたものでした。
建仁2年(1202)12月1日に、後鳥羽上皇のお住まいであった二条殿が焼失してしまったため、京極殿が上皇の御所にあてられることになりました。
ここは私の想像ですが、後鳥羽上皇が京極殿で新年をお迎えになり、歌会初めが催されたのだろうと思います。
後鳥羽上皇寄りの人々にとって、上皇が焼け出されて迎えた新年は、不安やストレスの多いものだったでしょう。
良経氏は、皆が抱える鬱々とした気持ちをたった三十一文字で一気に払拭してしまったのではないでしょうか。
歌についての峯村訳をそのまま引用させていただきます。
すべて、一様に、木の芽も出て、春の浅緑になっているなかで、いちだんと色を増して美しい松に、千年の色はこもっていることだ。
以下は私の想像と解釈です。(間違っている可能性もあるので、参考程度にしてください。)
浅緑とは、芽吹いたころの黄緑や淡い緑を指します。現代だと、3~4月上旬ごろの植物の多くがこういう淡い色をしていますね。
淡いということは、若い・世に出て日が浅い。ということです。
それに対して、松は針葉樹であり、冬になっても葉が落ちない常緑樹です。
松はいつまでも緑の色が褪めず、どっしりとしたいでたちなので、日本では古くから雄々しい男性や永遠の象徴とされてきました。
淡い黄緑がぴよぴよと生える中、松が濃く深い緑の葉を茂らせていれば、人々はその雄大な姿に威厳を感じるでしょうね。
とはいえ、松の葉も日照時間の短い新春のころは、葉の色が淡いのかもしれません。
そこで、同席していた人々は、「松の葉にも春の色が感じられます。(もうすぐ春ですよ。)」と詠んだのでしょうが、
良経氏は、もう一歩踏み込み、どんなときも(濃い)緑色をたたえる松に後鳥羽上皇をなぞらえて、歌で上皇をヨイショしたのです。
先年、あんなことがあったのに、我らが上皇さまは、相変わらずすばらしいではないか。なんなら千年でもこのまま上皇さまの御代が続くのではないか。
おそらくこの歌を機に、場の雰囲気は一気に華やいだのではないかと思います。
良経氏にそんなことができたのは、単に歌の名手だったからだけではないでしょう。
アドバイスや激励の言葉は、実力や、実績のある人が発したもののほうがすんなり受け入れられることがあります。
後鳥羽上皇や周囲の人々は、政治的にも経済的にも後鳥羽上皇を支えられる有力者の歌に、説得力があると感じ、
「そうだそうだ、良経氏の言う通りだぁ~♪」と気分が高揚していったのではないでしょうか。
良経氏がマルチタレントだったからこそ詠めた歌なのだと思います。
この歌に対し、校注・訳者の峯村文人氏は、「練達の即興歌。」と書いています。
コトバンクのデジタル大辞泉によれば、
練達(読み)レンタツ
[名・形動](スル)熟練して深く通じていること。また、そのさま。熟達。「練達の士」「古武道に練達する」
とあります。
私の読解力では、峯村氏のいう「即興」の部分を読み取れなかったのですが、逆に「即興」という言葉から想像を膨らませてみました。
そもそも後鳥羽上皇がすごい人だった。
これまでに、新古今和歌集は、勅撰和歌集、『八代集』の8番目にあたるという知識はあったものの、
誰が勅命を下し、誰が撰集したのかなどは知らないでいました。
国語便覧や文学全集で調べてみると、なかなかの有名人が関わっている和歌集でした。
勅撰和歌集というのは、天皇や上皇などが命令をして作られます。
ということは、通常、天皇や上皇は、和歌集の発注者であり、できあがるのを待っているものです。
しかし、後鳥羽上皇は、六人の撰者を指名したものの、実質的には中心的な人物として、和歌の撰集や編集などに携わりました。
撰者の六人も、そうそうたる面々だったようですが、後鳥羽上皇自身も歌がお好きで、歌の名手でもあったようなので、
六人に任せて、じっと待っておくことができなかったんでしょうね。
和歌の選択や配列などは撰者たちが担当していましたが、最終チェックは後鳥羽上皇が行っていました。
(編集長後鳥羽上皇という感じでしょうかね。)
後鳥羽上皇は、撰集された歌のすべてをそらんじることができ、時には作業をやり直させるようなこともあったようです。
そのせいで、撰者の藤原定家(さだいえ・ていか とも)と方向性の違いで別れてしまったりもしたようです。
さらに、後鳥羽上皇は、1221年の承久の乱(後鳥羽上皇が企てた鎌倉幕府打倒のクーデター)に敗れ、隠岐に流されてからも、すでに完成していた新古今和歌集の編集を続けました。それが「隠岐本『新古今和歌集』」です。
新古今和歌集の成立を読んでみると、後鳥羽上皇の並々ならぬ執着心が感じられますね。
私の日本史に関するポンコツ具合ったら。
「隠岐に流された」という記述から、
と思ったのですが、ウィキペディアで「後鳥羽上皇」を調べてみても、「演じた人」の項目に井浦新さんの名前がありません。
今度は、「井浦新 大河」などでググってみると、
井浦新さんが演じたのは、保元の乱に敗れ、讃岐に流される崇徳上皇でした。(笑)
ドラマ好きなのですが、大河ドラマのような歴史モノはあまり見ないので、日本史には疎い私です。(^◇^;)
ふたりの上皇さまをきっかけに少し知識が増えるといいんですけどね。
すべては藤原定家から始まった。
新古今和歌集において、欠かせないキーパーソンが、藤原定家です。
(「定家」を「ていか」と音読みすることもあります。)
彼は、八代集の7番目にあたる『千載和歌集』の撰者である藤原俊成(しゅんぜい とも)を父にもつ歌壇の中心人物でした。
後鳥羽上皇は、定家に憧れて和歌を学び、藤原良経は定家のスポンサーでした。
私は、定家というと、定家本とか定家様といって、古典を書写した人という記憶があったのですが、
そもそもは歌ですごい人だったんですね。
定家の文字をもとにした「かづらきフォント」なるものもあるんだとか。
また、忘れちゃいけないのが、「小倉百人一首」の撰者であることです。
藤原定家の存在があらゆる方面に影響を及ぼしていたんですね。
ぞわぞわした和歌集でした。
後鳥羽上皇の執念の結晶ともいうべき「新古今和歌集」ですが、実際他の歌も読んでみると後鳥羽上皇の強い思いが伝わってきました。
約2000首の和歌が、内容別に20巻に分けて収められているのですが、春の巻(上か下かは失念)で、梅がテーマの歌が並んでいて、そのどれもがすばらしいものでした。
読んでいて、背筋がぞわぞわするのです。
「梅」というテーマで、こうも多角的な歌が作れるのか。昔の人たちってすごいなぁ。と思いました。
また時間ができたら、じっくり読んでみたいと思います。
歌そのものの疑問は解決できましたが、お菓子のパッケージとしての疑問がまだ残されています。
ちなみに、このお菓子は、京都祇園萩月の嵯峨野というギフトセットの中のひとつだったようです。
嵯峨野には、「花よせ」「花かりん」「花おつまみ」「えびせん」の4種類が詰め合わされており、
良経氏は、「えびせん」だったようです。
ほかの3種類のお菓子の歌も知りたいところですが、萩月さんのサイトにある写真では文字が小さくて判別できません。
3種の歌がなんなのかは、また機会があれば調べてみたいと思います。
歌にちりばめられた古典文法の解説を少しだけ。
大学入試センター試験も近いことですし、ちょっとだけ古典文法もやっておきましょう。
掛詞が使われています。
和歌は別名三十一文字と言われるように、「五・七・五・七・七」の計31音で表現しなければなりません。
ということは、言葉の数も制限されてくるので、同音異義語・だじゃれ・ダブルミーニングと言われるような技巧を使って、世界観を広げます。
和歌では、「掛詞」と呼ばれます。今回は、「はる」に、「木の芽がふくらむ」という意味の「張る」と、季節の「春」が掛けられています。
掛詞の見分け方は、いまだにうまく言えないのですが、
「不自然にひらがなにしてあること」と「ひといきに読もうとして、なんとなく意味が理解できずつっかえる」ということでしょうか。
係り結びの法則があります。
係り助詞「ぞ・なむ・や・か」は、結びの言葉が連体形となり、係り助詞「こそ」は、結びの言葉が已然形となります。
ここで注目するのは、「こもれ・る」の品詞分解です。
「こもる」は、ラ行四段活用なので、「れ」は、已然形か命令形となります。
そして、已然形か命令形につく助動詞は、完了の意味を表す「り」ぐらいしかありません。
助動詞「り」を活用すると、「る」となるのは、連体形のときになるので、係り結びの法則にも合致します。
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