毒物劇物取扱者試験 法規の勉強に必要な心がまえ
「法規」が分厚くなったのには、「理由」があるはず。
以前の記事で、毒物劇物取扱者試験に関わる法規(法律・法令・省令)をプリントアウトしたら、
B5用紙111ページにもなってしまった。ということを書きました。
この量の紙を見ただけでげんなりするのに、勉強したり覚えたりしなければならないので、
余計気が重くなりますよね。
そこで、実際に詳しく勉強する前に、
そもそも、何でこんな風になっちゃったのか。
法律だけでなく、法令・省令までも作られたのかを考えてみることにしました。
物事の結果には、必ず理由があり、
人間の行動には、必ず意図があるものです。(自覚・無自覚の別はあるでしょうけどね)
理由や意図を考えずに、試験に必要だから。という理由だけで結果(法規)をやみくもに覚えるのは、
かえって非効率です。
「政治経済」を学んだのが役に立った。
現役時代に「倫理・政治経済」を選択していたのですが、
再受験生の際も「倫理・政治経済」を選択しました。
教科書内容(いわゆる歴史)になっていたのはちょっとショックでした・・・。
ま、オンタイムで経験していたから、覚える。というよりは思い出せばいいので、
そのぶん現役生よりは有利だったかな?
冗談はさておき。
大人になってあらためて「政治経済」を勉強してみると、なるほどなぁ。と思うことがいろいろありました。
その一つが、日本は事後立法の国であるということです。
日本は、まずはある程度の法律を作成し、(もちろん憲法に違反しないものである必要があります)
いったん運用してみて、不具合や不足・不備があれば、あらためて話し合った上で、新たにルールを補います。
事前立法だと、ルールを作成した人の恣意が反映され、独善的な悪法になりかねません。
日本は、法の運用に関して、
「まずはやってみよう。そこでまずいところがあれば、直していこうよ。」というスタンスを取る国なんですね。
法規の重みの鍵は「性質、貯蔵、取扱」の分野にある。
毒物劇物取扱者が扱う法規が、「法律(毒物及び劇物取締法)」にとどまらず、
「法令(毒物及び劇物取締法施行令)」や「省令(毒物及び劇物取締法施行規則)」まで派生してしまった理由を考える鍵となるのは、
性質、貯蔵、取扱の分野にあると思います。
当時この分野の勉強は、インターネット上で配布されていた暗記プリントをもとに行っていました。
いうまでもなく、毒物劇物取扱者が扱える毒物劇物の種類は膨大なので、
過去問には載っているけれど、暗記プリントには載っていない。というものが40種近くありました。
市販の教本を買わずに勉強するというスタンスだったので、
この40種をひとつずつインターネットで検索しては、情報を集めていったのですが、
と思いました。
この「性質・貯蔵・取扱」の分野は、ハンドブックでも買わなきゃ網羅しきれないでしょう。
市販の教本でも、限界はあると思います。
一見、非効率な行為のように思えますが、
私は、自分の手で物質名を入力し、調べることで、「毒物劇物のヤバさ」が実感できたので、その後の勉強がはかどりました。
毒物劇物を正しく扱う。
実際に、40種類の毒物劇物を検索してみると、
命に関わるような中毒症状のオンパレードで、恐ろしくなりました。
毒物劇物とは、正しく用いれば、暮らしの役に立つけれど、
いい加減に扱えば、命に関わる危険なものなんです。
法規がこのように膨大に派生したのは、国民の衛生(命と健康を守る)のためと考えられます。
法律で大まかな方針を立て、政令・省令によって、網の目を小さくし、漏れを防ぐことで、安全を確保してきたのだと思います。
ということは、毒物劇物取扱者は、国民の安全と生命を守るヒーロー(ヒロイン)ともいえますね。
資格が設けられているということは、
毒物劇物が、危険性と対処の知識を持ち合わせていると認められた人が扱うべきものであることを示しています。
また、資格を設けて扱える人を限定することで、行政機関は有資格者を把握しやすくなり、許可や手続きがスムーズに行えるようになります。
と思いました。
法は「そうじゃない時代」を経て成立する。
大学3〜4年のころ、哲学に関する新書を読むのが好きでした。
新書とはいえ、無謀にもカントに手を出したりしてね。(笑)
その後、偏屈さがおもしろくて、中島義道さんの著作をいくつか読みました。
もう、絶版になっていて、中古本でしか入手できないようですが、
「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)
は、今の私に影響を与えているように思います。
この本を通じて、私は「実際にはそうじゃないから、標語やスローガンなどが立てられている」という見方をするようになりました。
挨拶を呼びかける標語や、
電車内のマナーを呼びかけるポスター、
差別のない街作りを目指す宣言が書かれた大きな柱は、
すでに実現されていれば、必要ないはずです。
しかし、あいもかわらず小中学生が標語やポスターを制作し、駅前のロータリーなどにど〜んと大きな柱が立っているのは、
いまだ問題が解決されていない証でもあります。
この見方は、再受験生として「政治経済」を勉強する際にも役立ちました。
現役時代は、憲法を読んでも、「そんなの当たり前じゃん。」と思っていました。
戦後生まれ、憲法施行後の生まれですから、憲法が保障することを享受して成長したからでした。
しかし、再受験生としてあらためて明治憲法と、現行憲法を比べてみると、
当たり前が当たり前じゃない時代もあったということがわかりました。
たとえば、現行憲法では男女同権が保障され、女性にも選挙権(被選挙権)が与えられていますが、
明治憲法では、女性に選挙権はありませんでした。
こうしてみると、わざわざ明文化されているということは、
過去、または現在、「そういう状態ではなかった。(ない。)」ともいえるのです。
毒物劇物取扱者試験の勉強において、
法規への力配分は、全体を10とすると、3の扱いでした。
しかし、「性質・貯蔵・取扱」の分野も勉強するうちに、
毒物劇物取扱者の責任の重さを感じるには、法規をしっかり勉強する必要があるなと思うようになりました。
とはいえ、力配分は3から4ぐらいと、微増のレベルですが、内容の濃い3〜4になりました。
毒物劇物を無法状態に置くことはできないので、まずは骨格となる法律ができ、
その後、政令や省令で細かく肉付けをしていった。と考えると、政令や省令の量にも納得がいきます。
すごく重い資格なんだな。と思いました。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません