天神さまは美文字・能文の神でもあった?!【ライターさん必詣!天満宮詣りで文章力向上?!】
大崎下島の御手洗天満宮で見た大きな歌碑の歌の出典をさぐろうとしたら、
『天神経』について 服部法照 印度學佛教學研究第四十二巻第一号 平成五年十二月という電子ジャーナルの記事を見つけました。
服部さんの記事をもとに、かの歌が本当に菅公のお作かどうかをさぐっていきます。
かの歌は菅公のお作ではなさそう
「天神経」におさめられている四首の歌は、
南北朝ごろ成立の『天神講式』(『続群書類従』巻第五十七)中にあります。
南北朝時代というのは、鎌倉時代から室町時代にかけての時代だそうですから、
まぁ、四首が菅公のお作であると考えるのは、かなり無理がありますね。
結論として、私は、以下のように考えました。
神格化した(神様になった)菅公ならば、こうおぼしめすだろうという、
後世の人の創作である。
歌が成立した時代背景を考えると、人々は、日々生きることに精いっぱいだったでしょう。
明日の命をも知れぬ不安定な世の中を生きる人たちにとっては、
神様ぐらい、自信たっぷりが行き過ぎて、なんなら傲岸不遜な存在でいてくれるぐらいがちょうどよかったのかもしれません。
天神さまとしてのお歌
例えば、
四首のうちの最初の歌は、
「宵の間や都の空に住ぬらんこころづくしの有明の月」というものですが、
「天神経」は次のように解説しています。
一日に一回ずつ、百日間唱え続けることで、どんな大願も必ず成就するという天神の秘歌である。
毎朝の勤行を開始するときに、まずこの歌を唱えるとよい。
え〜、そんな長らく秘密とされてきた歌を紹介してもらえたうえ、
1日一回唱えれば、三ヶ月後には願いがかなっちゃうなら、簡単!続けられる!
忙しい庶民ライフにピッタリ!
テレビショッピングの匂いがしますよね。(笑)
ちなみに、服部さんによると、
この「どんな大願も必ず成就する」というのが天神信仰の特徴のひとつなんだそうです。
菅公は能書家・能文家だった?!
そして、「天神経」におさめられている歌の四首めが、今回の歌です。
この歌については、特に
「手跡上達祈御歌(しゅせきじょうたつをいのる)」とみだしがつけられています。
筆の上達も、庶民の願いだったようですね。
学問の神様だから、筆のオブジェがあるんだろうなとは思っていましたが、
美文字の神様でもあったわけですね!
さらにさらに、
Google画像検索で、各天満宮で授与されているお守りや絵馬の写真を見ていると、
「筆の上達・文章力の向上」のご利益ありとの添え書き(ポップ)がありました。
私の場合、もはや美文字を望むには限界がありますが、(そもそも上手ではないけれど、もう上手にもならない)
文章力の向上は別です。
書きたいことがいっぱいあるので、文章力が向上するなら、ぜひともお願いしたい!
大崎下島の後、尾道の御袖天満宮(みそでてんまんぐう)にもお詣りしたのですが、
そこに筆のオブジェや筆型絵馬があったのは、そういうことだったんですね。
筆型絵馬、買えばよかったな。と思いました。
(受験生の甥っ子のお守りだけいただいてきました)
「文章力の向上」という御利益をくださるなら、
あの自信満々のお歌もとらえ方が違ってきます。
「御利益を信じて私のことを頼りにしている人たちに対し、その願いや努力をむなしいものにしてしまうことがあれば、私は天下に知られた自らの名を流し去ってしまおう。」
(私には、そのぐらいの意気込みがあるから、ド〜ンと信じなさい)
ついていきます、天神様〜♪(笑)
毎月25日が天神講とのことですので、
今後は運動も兼ねて、近くの天満宮に文章力向上祈願のお詣りをしてみようかと思います。 以下の記事一覧に他のボリュームのブログカードを載せています。途中のボリュームからお読みになった方はこちらからどうぞ。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません