得るもの、犠牲になるもののバランスを考える【高校非常勤講師奮闘記】
4月になってからも、公立学校から非常勤講師として勤めないか。という依頼・問い合わせがあり、
少しずつ情報を得て、1年間ならやってみてもいいかなぁ。と思うようになっていました。
夫には2夜にわたって相談したのですが、反応は芳しくなく・・・
愛ある夫ブロック
夫は、「俺なら・・・」という言い方で、今回の仕事の依頼について反対はしたものの、
最終的に決定権があるのは私で、
私がどんな判断をしても受け入れると言ってくれました。
しかし、
「大変とわかっていてもやりたい理由があるなら、反対はしないが、
他にも選択肢があるのでは?」とも付け加えていました。
いつもは、私のやりたい放題にさせてくれる夫ですが、
今回の反対は、やんわりだけど、芯をついた反対だったなぁと思います。
ここまで、反対するのはなぜかなぁ。と思い返すと、
2年前に突如引き受けた、高校の非常勤講師の経験からではないかなと思います。
そのときは、今回以上にピンチの状態だったのと、
生まれてはじめての学校現場ということもあり、毎日が緊張とあれこれ心労の連続でした。
週4日の勤務日は、帰宅後も翌日の授業の準備をしたり、
20時半頃には 倒れ込むように寝てしまうことが多く、
どこかイライラしている。
(私も、口を開けば愚痴しか出ないのがわかっているので、しゃべりたくないんですよね)
休日も、買い物や家事を済ませ、ひたすら授業準備をしていて、
ピリピリしたようすでしたので、夫としても気が休まらなかったでしょう。
今回の依頼は、担当する授業数が少なかったので、
その時ほどではないものの、
軽くピリピリした私を1年間見ることになるのはわかっていたので、
夫は、ちょっとしっかりめに意見してくれたのだろうと思います。
下手に侠気は出すな
2年前の状態を振り返ってみると、今のゆる〜っとした状態を維持するほうが大事かもしれない。と思うようになりました。
今年は、ブログの更新はもとより、KDP の出版と、国語の指導力の向上に勤しみたいと思っていました。
ですから、非常勤講師の依頼を受ければ、これらをまた1年間中断することになるんだよなぁ。と漠然と考えていたのですが、
はたしてそれが私の人生や、夫婦の生活にとってよいことなのか?と考えると、急にさ〜っと醒めるような思いがしてきました。
教える経験やスキルを向上させることができますが、本来やりたかったことを中断してでも得たいものか。というと、そうとも言い切れません。
そして、教員採用試験を受けられる年齢はとっくに オーバーしているので、
将来、本採用の足がかりにするために、経験を積もう。というわけでもありません。
特例などで正規の教員になれる可能性はないでしょうし、あったとしても、正規の教員になりたいわけでもない。
困っているようでしたし、力になれたら。とは思うものの、
得るものと犠牲にするもののバランスが崩れているように感じられました。
非常勤講師生活を終えたばかりのかつての自分がグサリと言ってきます。
ただただしんどい思いをしたのを忘れたか?
初日から、契約を終える半年後を一日千秋の思いで指折り数えたんでしょうが!
そうだ。そうでした。
たいてい、私に回ってくるのは、にっちもさっちもいかない、
ピンチの現場でした。
意義があることなんだと、揺るがない気持ちがない限り、
受けるべきではないのです。
四半世紀前、少子化だから、教員の数もそんなにいらない。と言われた世代ですからね。
今さら、助ける義理もないのです。
昔、「切られる側ではなく、 切る側になれ」と言われたことがありますが、
今がその時かもしれないな。と思い、改めてお断りの電話を入れたのでした。
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