教育現場こそ「働く」ことのマインドを変えよう!【高校非常勤講師奮闘記】
公立学校の非常勤講師の依頼をいったんは断ったものの、
勤務時間について希望に添えるようにするので、再考してくれないか。と頼み込まれて、
具体的に考えてみることにしました。
拘束時間を計算してみた。
拘束時間が短くなるよう、午前中の2、3コマ、または、3、4コマに授業がくるような時間割を設定してもらえる。という約束を得ましたので、
「家を出発し、公共交通機関で学校へ向かい、 2コマ授業をして、 公共交通機関で家へ戻る」というタイムテーブルを作ってみました。
具体的には、
1. 早い時間の電車で通勤して、2、3コマ授業をする
2. 一本遅い電車で通勤して、2、3コマ授業をする
3. 3、4コマ授業をする
の3パターンができました。
家を出発するところから、家に戻ってくるところまでの時間を計算してみると、
5時間弱から5時間半程度でした。
やってみてもいいかも?
通勤時間も含めて、拘束時間は5時間半ほど。
時給に換算すると1000円程度になります。
近くで気楽なアルバイトをするのもいいけれど、
「学校現場で教える」経験が積めるし、
やってみてもいいかなぁ。と思い始めていました。
問題は、定期テストの作成ですが、
本職の先生たちからのサポートもあるだろうし、
そこまで意欲はないけれど、作るスキルを持つのも悪くない。
担当する学年やクラスが少ないので、教材研究にかかる時間も
高校に行っていたときよりは明らかに少ないだろうし、
あのときほどQOLが著しく下がるということはないのではないか。と。
今晩も夫に報告と相談をして、夫がいい印象・判断だったら、
オッケーの返事をしようと考えていました。
夫の反対:2夜目
そして、いい反応があるかな。と思いながら、夫に話してみました。
すると、
時間割と拘束時間のことはクリアできたことを話したところまでの反応はよかったのですが、
授業にしか手当がつかないということから、
定期テスト作成にかかる拘束時間に対して手当がつかないことを指摘されました。
「テスト作成するのに、時間かけても一銭も出んのじゃろ?」
はっとしました。
「テストなんて生まれてこの方作ったことないのになぁ。」なんて、のんきに考えていましたが、
生徒の将来を左右する一端でもある定期テストを、無給状態で責任持って作るっておかしいですよね?
ここが、私の世間知らずなところですよね。
彼の存在でおおいに助けられています。
夫はつづけます。
「必要な仕事があるなら、それは報酬もきちんと出すべきで、
それもなしに、都合よく使うのはおかしい。」
スキルには対価が必要
そうか。
働くということは、スキルや時間を提供して、他者の生活を豊かにすることであり、
その対価を得るのは、当然の権利だなぁ。と。
本職の先生たちは、月給という形で報酬が支払われているので、
テスト作成に特別に手当をつけるなんてことはないでしょうから、
採用する仕組みをつくった人は、
会計年度任用職員が定期テストを作成するときに手当を発生させる。という発想がないのかもしれません。
(もしくは、こんな危機的状況になるなんて想定がなかったのかも)
そして、知らずしらず、同じような発想に陥っていた自分にも気付かされました。
職員室のざわざわ感が性に合わず、
教材研究や授業の組み立ては、もっぱら家でやっていました。
そのため、「授業以外の時間は無給」というのに、特に違和感を持ちませんでしたが、
仕事は職場でこなすべきで、家に持ち帰るべきじゃないですし、
なんなら、職場で仕事を完結させるべく、
報酬つきの拘束時間を設けるべきなんですよね。
もちろん、線引きが難しい事案がいろいろと出てくるでしょうが、
ある意味、営利団体のドライで合理的なマインドを取り入れて、
教員も「サラリーマン」や「家庭人」、そもそも「人間」であることを認識する必要があるのではないかと思います。
何度もくりかえすようですが、
民間企業の感覚を 公的機関、さらに教育機関にがっつり当てはめるのは、無理があります。
しかし、教員たちが、ここぞというときに、毅然とした姿勢を取らなかったことで、
学校現場がブラック化し、疲弊し、教員不足を招いているのかもしれません。
日本ではお金のことを言うのは、はしたない。という感覚がまだまだあるので、
報酬に関してあれこれいえば、
「そんなめんどくさいこと言うやつに頼まんでも、(ほかに)やりたい人がおるわ」と、
思われるのでしょうが、
私も老い先短い身、自分と家族を大事にできなくなるかもしれない生活に勇む必要はない。と思いました。
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