読書感想文を「ファスト本」にするな(その1)【生き残れ!読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!】
記事を音読してみました
2022年10月15日、記事を音読してみました。
一発録りした上、編集なしでアップロードしております。
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「あらすじ」じゃなく、「ネタバレ」だ。
ほとんどの読書感想文のテンプレートには、あらすじを書くパーツが含まれています。
私が塾で小学生に読書感想文を書かせていたときに作ったテンプレートにも「あらすじ」パーツは入れていました。
選んだ本によっては、「あらすじ」でも書かないと文字数が稼げない場合もあるからです。
しかし、この「あらすじ」を書くのは意外と難しい。
実は、相当な読解能力と編集能力を要する高等技術なんです。
それを教科としての国語を学び始めて数年の子どもたちに課すとどうなるか。
たいていは、雑で質の悪い「ネタバレ」になります。
読書感想文の具体的な書き方も習わずに取り組んでいるんだから、もう少し配慮した言い方はないのか?と腹立たしくお思いになる方もあるでしょう。
もう少しオブラートに包んで形容するなら「ファスト本」でしょうか。
「ファスト本」は雑で質の悪い「ネタバレ」であり、
「読書感想文」の定義からは大きくはずれます。
本を読んで思ったり考えたりした「自己を表現する」のが「読書感想文」であり、
「ネタバレ」は、「自己表現」ではありません。
そもそもがムチャブリ。
塾で、小学生に国語を教えるようになった2年目、
読書感想文のテンプレートを作りました。
1年目も子どもたちに読書感想文を課したのですが、
まぁ、ひどかった。
授業中にいい反応を示すような子でも、あらすじでほぼ1200字を埋めてしまっていました。
改めて考えてみると、少なくとも、低学年・低年齢の子どもたちにおいて、相関性は低そうです。
塾の国語は、いってみれば「受験国語」です。
授業は、問題文を読み、そこから解答を作成する力を養成することを主目的に行われています。
いわば、唯一の最適な答えを見つける作業を習熟させるトレーニングを行っているわけです。
しかし、読書感想文に、見つけるべき「答え」はありません。
選んだ本も、ほぼ初見のもので、先生や親の読解サポートも得られないことが多いです。
それなのに、「本を読んで、思ったことや考えたことを自由に表現してみましょう。あ、ちなみに文字数は1200字程度でね。あ、締切は○月○日です。」
自由に表現しろというふわっとした指示を出しておきながら、
文字数と締切というギッチリした縛りがもうけられている。
「なんの無理ゲーだ。(怒)」
これが、子どもたちの本音ではないでしょうか。
自分たちも子どもの頃にムチャブリされているんですが、忘れてるんですよね。
読書感想文テンプレートを作成
1年目で、大量の「ネタバレ」文に辟易した私は、
2年目、読書感想文テンプレートを作りました。
読書感想文が書けないのではなく、読書感想文の「型」を知らないから、
あらすじで文字数を稼ごうとしてしまうんだなと分析したからです。
テンプレートの詳細はもう覚えていないのですが、
自分が読みたい、そして評価したい読書感想文をイメージして、
盛り込んでほしいパーツとざっくりとした文字数を割りふります。
指示に従いながら書けるようにしたかったので、
原稿用紙を90%ぐらいに縮小して、
「ここからここまでで、これについて書きましょう。」というような指示を書いておきます。
ひとまず、このテンプレートに従えば、読書感想文らしきものが仕上がるようにしておきます。
コンクールに提出する際は、このテンプレート部分を削除してコピーし直すか、
改めて清書してもらえばいいようにしてありました。
実際、このテンプレートの威力は絶大でした。
私の担当したクラスだけ、コンクール出品候補作が続出したのです。
そもそも、中学受験を考えているような子どもたちでしたので、
型を提示し、的確な指示があればそつなくこなせる能力を有していたわけです。
また、「型」があることで、表現力を開花させた子もいました。
その子は、授業中の反応や模擬試験の成績はあまり芳しくなかったのですが、
読書感想文は素晴らしいものを提出してくれました。
子どもにしか書けない(大人の手が入っていない)等身大の表現で原稿用紙が埋め尽くされており、
教室の国語担当全員が推したほどでした。
「型」って大事なんだなぁ。と再認識したできごとでした。
幼い子ほど「型」にはめろ。
「型にはめる」とか、「パターン化する」とか、「マニュアル人間」などの言葉は、
あまりいい意味では使われません。
小さいうちこそ、自由に。と言われます。
しかし、低年齢の子どもほど、実は規則性・因果性を好みます。
小さい子は、時には大人が音を上げるほど執拗に行為を繰り返すことがありますが、
あれは、繰り返すことで規則性・因果性を発見し、知能を高め、社会性を身に着けていく学習の一環なのです。
生物的年齢と学習歴が同義とすれば、低年齢の子どもほど、身につけた「型」の数は
高年齢の人たちよりも明らかに少ない。
弱っちく、数少ないカードで勝負するのは不利だということは本能的に感じ取っているのでしょう。
だから、貪欲に「型」を求めて動き回るのです。
すでに成長し、多くの「型」を身に着け、例外やアレンジすることが求められている段階にある大人からすると、
「型」を学んでいる最中の子どもたちは、窮屈そうに見えるのかもしれません。
一切の制約を設けない。というのは、子どもに対して、非常に寛容な対応のように思えますが、
実際には、「野放図な結果となっても、それは自己責任だよ。」と言っているのと同じことです。
テンプレートを作ったことで、コンクールへの出品候補作品が続出しましたが、
もちろん、このテンプレートがいかせない子も一定数います。
生物的年齢と言語能力は比例するわけではないので、テンプレートを有効活用できない段階にある子もいます。
しかし、「読書感想文に書いてほしいことはこういうことなんだよ」という「型」を示し続けることは大事です。
このシリーズ記事を書いているからか、
Googleさんが、読書感想文に関するネット記事をあれこれ紹介してくれるのですが、
読書感想文のテンプレートを大絶賛するかつての子どもたち(今は大人)のさまざまなつぶやきも目にしました。
読書感想文を書かなければいけない人が、このテンプレートいいな。と思えば、参考にしてみる・試してみるとよいと思いますし、
テンプレートを見つけたのが大人であれば、お子さんに紹介してみるのもいいかもしれませんね。
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