クセの強さがたまらない?筆写は続くよどこまでも【リスペクト!山鹿素行】
2021年の初め、突然 山鹿素行(やまがそこう)の著作を読んでみようと思い立ちました。
しかし、読むにはちょっとしたハードルが。
正論のクセがすごい!
「聖教要録」を筆写しながら感じたのは、素行の正論居士的なクセの強さです。
香川照之さんに田所博士のテイストで演じてほしいぐらいです。(笑)
素行は幼い頃から朱子学を学び、10代後半にはもう人に教えるほどだったそうです。
(彼の師匠は林羅山。徳川家康・秀光・家光・家綱と4人の将軍に朱子学を教えたすごい人です)
年若いころから人に教えられるということは、本質を見抜く力がかなり並外れていたのだろうと思います。
しかし、その並外れた本質を見抜く力が、朱子学への懐疑的・批判的態度を生むことになります。
ちなみに、朱子学は、南宋の学者、朱熹(しゅき)が始めた儒学(孔子を首唱者とする伝統的な学問@コトバンク)のひとつです。
儒教が日本に伝来したのは4〜5世紀ごろ。当時は漢学というもので、貴族や僧侶が学びました。
その後中世になって朱子学が伝わり、江戸時代に定着します。
孔子が紀元前551年から紀元前479年の人で、
朱子は、1130年〜1200年の人です。
私達からすれば、どちらも遠い昔の人。という印象ですが、
朱子と孔子の間には、1500年もの時のへだたりがあります。
素行は、この長いときのへだたりによって、源流たる孔子の教えが歪められているのではないかと考えるようになったようです。
「聖教要録」を筆写していると、素行おじさんの怒号が聞こえてきます。
「源流をたどらず、支流をありがたがってどうする!オリジナルを学べ!オリジナルを!」と。
教えるほど朱子学を究めたからこそ、そのアラもよく見えたのでしょう。
そして、彼には2000人の弟子がいたといいます。
こんなにも弟子がいたということは、魅力的な人格者でもあったのでしょう。
江戸幕府の官学として確固たる地位を築きつつあった朱子学にとって、
また、その朱子学の後ろだてとなる幕府にとって、
素行の主張は脅威であったと思われます。
「儒教のひとつにすぎない朱子学なんざ、ありがたがって学んでんじゃねぇよ!
聖教を学べ!読んでいいのは、うすれゆく十聖人の教えを広めるため、天が遣わした孔子の教えまでだ!」
素行は、本来聖教とはものすごくシンプルな教えで、
万人が日常生活を営む中で、自然に会得するくらいの、「あたりまえ」のものととらえていました。
でも、朱子学は違う。
机について、しかめっつらしく学ぶ武士だけのもの。
しかも孔子から1500年も経っているから、あれこれ余計な尾鰭がついているのです。
国語便覧を読んでいて知ったのですが、「論語」の解釈も、学者によって異なるそうです。
ということは、朱子の解釈が孔子の意図したものと異なっているかもしれず、
それが幕府にとって都合のよいものだったとしたら。
そりゃ〜、素行おじさんは怒るでしょう。
そして、怒りの結果?が「聖教要録」です。
あからさまな朱子学批判ではないのですが、読む人が読めば、朱子学批判とわかります。
そんなわけで、「聖教要録」は発行が差し止められ、素行おじさんは赤穂藩へ配流されます。
筆写していて、
と、つっこんでしまいました。
「正しいことを言って、ぬわぁ〜にが悪い!」なんて言いそうですけどね。
(ちょっと香川照之さんに寄せ過ぎか)
「士道」を知りたいなら。
しかし、残念ながら「聖教要録」では、彼の「士道」に対する考え方を知ることはできませんでした。
「三民の長」として高潔な生き方を追究する「士道」の思想にふれるには、別の著作にあたる必要があることがわかったのは収穫でしたけどね。
調べていくと、素行の「士道」に関する思想がよく表れているのは、
「武教小学(ぶきょうしょうがく)」と、「山鹿語類(さんがごるい)」の巻二十一「士道」篇だとわかりました。
筆写をしてみたいので、原文が載っているものを。と図書館から本を借りてみました。
「日本の名著12 山鹿素行」
田原嗣郎責任編集 昭和46年 中央公論社
こちらは、配所残筆、武教小学、山鹿語類(抄)についての田原訳で、
本文は載っていませんでした。
ちなみに、訳はあんまり必要だとは思っていません。
授業するわけでもないし、訳本を出すわけでもない。
ただただ一人読み味わって楽しむことが目的なので、正確な訳はいらないのです。
また、訳者によるフィルターがかかってしまうので、
原文を何度も通読して、雰囲気レベルでも自分なりに理解するのがベストだと思います。
「武士道全書 第三巻」
井上哲次郎監修
国書刊行会
こちらには、武教小学と山鹿語類巻二十一「士道」篇の本文が収録されていました。
ちなみに、この本、大正時代に発行された本の復刻版みたいで、かなり貴重な本でした。
抜粋して筆写する
実際図書館から借りてみると、両著ともなかなかの分量があるので、
全部筆写するのは無理と判断し、それぞれ抜粋して筆写することにしました。
「武教小学」は、
- 序文
- 目録
- 言語応対
- 行住坐臥
山鹿語類巻二十一「士道」篇は、
- 立本
- 温藉(おんしゃ)
- 言語を慎む
について筆写してみようと思います。
ちなみに、山鹿語類は、素行の門人たちが、素行の教えをまとめたものなんですが、
45巻もあり、「先生いわく・・・」ではじまるそれぞれの教えもかなりの分量です。
そして、45巻分も再現されるなんて、どんだけ慕われてんだよ。
素行がエネルギッシュに教えたからこその結果なのでしょうが、
素行の門人たちもかなり熱い人たちだったようです。
もうしばらく、このあつくるしい人たちとの時空を超えた交流を楽しむことにします。
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