本文をすんなり読めない?【リスペクト!山鹿素行】
2021年の初め、突然 山鹿素行(やまがそこう)の著作を読んでみようと思い立ちました。
しかし、読むにはちょっとしたハードルが。
初版が昭和15年!
メルカリで奇跡的に入手できた岩波文庫の「聖教要録・配所残筆」ですが、
まだまだ困難は続きました。
この復刻本は、昭和15年初版のものだったのです。
昭和15年とは、1940年。
大東亜戦争の開戦1年前に発行されたことになります。
(大東亜戦争は、昭和16年・1941年に始まりました)
ちなみに、2021年現在、81年前の本ということになります。
80年前と現在では、世の中も大きく変わりましたが、
実は、文字にも大きな変化が見られるのです。
旧字に戸惑い、すんなり読めない
古典にはなじみがあるので、歴史的仮名遣いはスムーズに読めたのですが、
何しろ困ったのが旧字のオンパレードだったことです。
いくつか例を挙げると、
「与」が「與」だったり、
「欠」が「缺」だったり、
「旧」が「舊」だったり、
「伝」が「傳」だったりします。
大学時代、このような旧字のオンパレードの漢文を読む授業に参加していたので、
ある程度は読めるのですが、旧字を見た瞬間脳内変換できるほどの能力はありません。
このままでなんの工夫もしなければ、いつまで経っても読み味わう。なんてレベルには至らないと思いました。
幕府がおそれたヤバい本
文庫本には、「聖教要録(せいきょうようろく)」と「配所残筆(はいしょざんぴつ)」の二作が収録されています。
簡単な紹介をすると、「聖教要録」は、山鹿素行が当時幕府のおかかえ学問(官学)となっていた朱子学を批判した書物です。素行は儒学者であるとともに、兵法家でもあり、弟子は2000人を超えていたといいます。
幕府の側からすれば、この著作は、幕府転覆にもつながりかねない、ヤバい書物だったんですね。
ゆえに、「聖教要録」は出版が差し止められ、
素行は赤穂藩に流されることになりました。
そして、その配流先で生まれてからのことを書いたのが「配所残筆」です。
まずは、素行の思想がつまったヤバい本から読んでみることにしました。
80年前の「書き下し文」は読めない。
素行はもともと朱子学を学び、十代後半からは教えていたというほどのすごい人です。
儒教というのは、孔子・孟子の教えに関する学問ですので、漢文が読みこなせないといけませんよね。
素行は、孔子や孟子の原典を読んで、真意や考えをくみとろうと主張したぐらいですので、
いわば、漢文ネイティブなんですね。
漢文をすらすら読みこなすだけではなく、漢文を書くこともできました。
そんな漢文ネイティブな素行ですから、「聖教要録」は、も・ち・ろ・ん漢文で書かれています。
一応訓点はつけていたようです。
文庫本にも、その訓読文がおさめられていましたが、
国語の教員免許を持ち、つい最近まで受験生だったとはいえ、
訓読と内容理解を同時に行うのは無理!
訓読文を読むことは早々にあきらめ、
書き下し文を読むことにしました。
漢文の読解レベルは、白文>訓読文>書き下し文と位置づけられるでしょう。
私に読解力がない以上、最も簡単な書き下し文を読むしか道はないのですが、
さらに、80年の間に生じた文字の変化という壁が立ちはだかっているとは。(汗)
2021年の私には、昭和15年の「書き下し文」ですらすんなり読めないのでした。
まずは現代版「書き下し文」を作る
「読み味わえる」基礎的な環境づくりから始めねば。
昭和15年の「書き下し文」をすんなり読めないのは、旧字が用いられているからです。
ということは、この旧字を現在使われている文字に置き換えれば、
読むときにつっかえることはありません。
(歴史的仮名遣いは問題なく読めるので、置換は不要)
「聖教要録」はそれほど長い著作ではないので、筆写して現代版「書き下し文」を作ることにしました。
でも、この「筆写」も一筋縄ではいきませんでした。
「筆写」の詳細は、次回の記事にて。
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