生成は一瞬、スポイルは一生?!【ChatGPTを使ってみよう!】

日進月歩

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これからしばらくは、
シリーズタイトルの【ChatGPTを使ってみよう!】とは真逆の主張をすることになります。

学び舎にいる若者は、何かしら「文章を書くこと」を求められることがありますが、
ChatGPT が登場したことで、文章生成させてしまう若者が出てきました。

教える現場にいた人間として、私なりの考えをお伝えしたいと思います。

文章も自動生成する。

2023年4月11日、NHKクローズアップ現代にて、『ChatGPTの衝撃 異次元のAIとどう向き合う?』が放送されました。便利で、驚異的な効率化が実現する一方、AIと人間がどう関わっていくべきか。という問題をはらんでいることも紹介されていました。

教育現場でさっそく生じているのが、AIによる文章の代理生成です。

米国の大学で、学生にレポートを課したところ、あまりに出来のいいレポートが提出されました。
いぶかしく思った教授が、ChatGPT に、「これはあなた(ChatGPT)が書いたものか?」と尋ねると、
「99.9% 私が書いたものです」と断定したとのことでした。

つまり、ChatGPT は、自分の痕跡もわかる。ということです。

これについては、他の人もかなり細かい検証をしていて、
ChatGPTに文章を生成させておいて、
その文章をコピペし、
別のアカウントでサインインしてたずねても、
デバイスを変えてたずねても、
「私(ChatGPT)が書いたものです。」と答えたそうです。

文章をぐちゃぐちゃにしても、「私が作ったときとは変わっていますが・・・」というようなニュアンスで答えたんだそうです。

面倒ですが、ChatGPTに判定させれば、人間が作った文章か、ChatGPTが生成した文章かはすぐにわかってしまう。ということを表していますね。

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Lukia
ちなみに、このChatGPTによる代作レポートについて、その後どういう評価・処遇になったのかまでは番組内でふれられていませんでした。

習う側にいる時間は短い。

番組内では、「便利なのに、なぜ使ってはいけないのか」と学生が言っていました。

その理由は単純明快。便利な道具に頼りきれば、自身に力がつかないからです。
自らの頭で考え、自分なりに表現することを放棄すれば、成長は見込めず、
人間的な魅力を欠いてしまいます。

人生において幸せを掴み取りたいなら、自分で積極的に思考し・判断し・表現せねばなりません。
これらを放棄すれば、他者に依存するしかなくなり、場合によっては、他者の人生のために都合よく利用されるおそれも生じてくるでしょう。

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Lukia
そんな大人になりたいですか?そんな人生歩みたいですか?

世の中の流れが速くなったことで、
ティーンネイジャーや20代の人たちは、早く大人になることが求められています。

それでいて、今の若い人たちの精神年齢は、年々幼くなっているように感じるので、
若い人たちにとっては、いきなりハードモードに飛び込んでいかなければならない状態になっていると思います。

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Lukia
私が非常勤講師として教えに行ったとき、
今の若い人たちの精神年齢は、生物的年齢から2〜3歳ぐらい差し引いてちょうどよいくらい、本当に幼くなっているなと感じました。

数少ない、文章作成能力向上の機会を、ChatGPTに丸投げしていいものでしょうか。

課した側だって大変なんです

レポートを課された立場の人は、考えもしないでしょうが、
実は、逆の立場、すなわちレポートを課す側も大変なんです。

短期間に一斉に文章が集まってくる上、文章がうまいわけでもないし、
質も高いわけじゃない。
それを延々、読み進めなければならないのは、ひとえに、自分が教えた側だから、それが仕事だからです。

自分が教えたのですから、自分よりもその分野に明るくない人の文章を読んだって、 たいした収穫は得られないでしょう。

レポートを課した側(先生や教授)にとって、学生にレポートなど文章を作成する課題を出すのは、
ほぼなんのメリットもないのです。

研究の時間も削られますから、選択問題や短い記述問題で済ませるほうがよっぽど楽なんです。

それでも、レポートを課すのはなぜか。
ひとえに、学生たちの知的能力を向上させたいからなのです。

時間をかけ、いろいろ本を調べたり、頭を悩ますことで、文章作成能力(思考力や表現力)は磨かれます。
その機会を一回でも多く経験させたいがために、教える側にってもしんどい課題を出していることを
学ぶ側の人たちには理解してほしいと思います。

こういう経験をさせてもらえる時間はそんなに長くない。
ChatGPTなどを使って、そつのない文章を自動生成させている場合ではないのです。

教えた側が知りたいのは、どれだけ 真摯に取り組んだか、試行錯誤を重ねて、つたなくても自分なりの結論を出したかであり、文章のうまさや質の高さではありません。
(もちろんあれば嬉しいですけどね)


存在意義を見失うな。

私は、学ぶ側の人たちがChatGPTに手を出したら、学生としての存在意義を失うと思います。

ChatGPT にレポートを代筆させるなら、そもそも授業に出る必要もないですし、
そうなれば、決して安くはない学費を出して、大学などに在籍する必要もありません。
自分の頭や手をわずらわせて学ぶからこそ意義があるのであり、それを放棄するなら、
そもそも学びに行く意味などないからです。

学校は学びたいことだけが学べる場所ではありません。
学校側が指定した所定の単位を取得するためには、興味や関心がないことでも学ばなければいけないこともあります。
自分の好きなように好きなだけ学びたいなら、学校に行くことがデメリットにはたらくこともあるのです。

やりたいことを思いっきりやりたいなら、
やりたくないことに対しても、また力いっぱい取り組む必要があります。
学校で学ぶということは、現実とモチベーションに対してどのように折り合いをつけるかを試行錯誤することでもあるのです。

ちなみに、先程のChatGPTによって書いたレポート、
私だったら、不可にすると思います。

ChatGPT は、大学の学生ではない。(そもそも人ですらない)
学籍を持たない人または物が作成したレポートを評価することはできない。
代筆や他者のレポートの改作は、不正行為とみなしても何ら問題はない。

現在、人間が行っている仕事のほとんどは、AIに取って代わられるといわれていますが、
学ぶ人が、ChatGPTを安易に利用・悪用することは、
将来の仕事どころか、今後の自身への信頼を失う本当に軽率な行為です。

Lukia_74
Lukia
仕事以前に、20代やそこらで、そもそも信頼を失うって、今後の人生ハードモード必至のことなんですよ?
レモンのライン 以下の記事一覧に他のボリュームのブログカードを載せています。
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プロフィール

Author Profile
Lukia_74

元・再受験生、元塾講師、元高校非常勤講師。広島育ち。
中・高国語の教員免許を取得するも、塾講師時代は英語や数学ばかり教えていた。
思うところあって大学再受験を決意。理転し、数学Ⅲ、化学、生物を独習する。国立大学へ合格するも、2018年3月に再受験生生活にピリオドを打つ。
モットーは「自分の予定はキャンセルできても、生徒の予定はキャンセルできない」と「主婦(夫)こそ理系たれ」。
広島のお好み焼きとグレープフルーツが大好き。どっちかというと左党。楽しみはひとりカラオケ。
高校で教鞭を取った経験から、現在は「現代文」と「小論文」の指導力アップを目指し、自己研鑽中。最近は趣味として高校数学を解く。

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Posted by Lukia_74