文選より蘭亭序では【元号「令和」の典拠について】
極所を抜き書きする
万葉集の序文に関する万葉代匠記の筆写も行いました。
(5日ぐらいかかりました。大変でした)
当初は、全文を書き下さねばならないかと思っていたのですが、
典拠問題を考えるだけであれば、そこまでする必要もないと判断したので、
初稿本と精撰本より、
「令」と「和」にちなんだ部分の抜き書きをしてみました。
序文の作者は不詳
まず、序文の作者についてですが、
初稿本で、契沖は山上憶良〈やまのうえのおくら〉によるものでは?としていました。
しかし、その後精撰本ではバッサリ否定して、
「不詳(誰が書いたか定かでない)」としています。
この他にも初稿本と精撰本では全く逆のことをいっているくだりがあるので、
契沖って、違うと思ったら、
過去に費やした労力も厭わず、
ばっさりと否定してしまう潔い人だったんだな。と感心しました。
当該部分には、複数のオマージュ
万葉集序文の当該部分には、
初稿本では「帰田賦」と杜審言〈としんげん〉の詩のオマージュ、
精撰本ではこの2つに加えて「蘭亭記」のオマージュがあると示唆されています。
杜審言
杜審言とは、唐代の詩人です。詩人として有名な杜甫は、彼の孫です。
杜審言が700年頃に活躍した人と考えると、
旅人たちにとってはかなり最新流行の詩だったのではないでしょうか。
全米チャートナンバーワンの曲をフューチャリングしているような感じかもしれません。
集まった32人がパリピに思えてきました。(笑)
また、冷静に考えてみたら、32人が集まれる屋敷って、相当広いですし、
32人も集める旅人もすごいですよね。
蘭亭記
そして「蘭亭記」は「蘭亭序〈らんていのじょ〉」ともいわれます。
作者は王羲之〈おうぎし〉で、
この人は大変な能書家です。
「蘭亭序」は王羲之ら名士42人が永和9年(353年)3月3日の節句に蘭亭に集まって曲水の宴を行ったときの詩集に王羲之がつけた序文を指します。
王羲之が行書で書いた「蘭亭序」はお習字のお手本となっています。
文選より蘭亭序じゃない?
万葉集序文の当該部分は、
帰田賦、
蘭亭序、
杜審言の詩のオマージュであるでしょうが、
私は、この序文の作者が最も影響を受けているのは、
「蘭亭序」ではないかと考えています。
たしかに、
「令」も「和」も使われているのは、
帰田賦なのですが、
「令」を除いて共通する漢字を最も多く含むのは「蘭亭序」なのです。
帰田賦は、作者張衡が、都会での暮らしに失望して、田舎に帰りま〜す。という詩なのですが、
蘭亭序は大勢が集まり歌を詠み、宴をもよおしたという点で、
万葉集と状況が似通っています。
なにしろ万葉集の序文の書き出しが、
そっくりなので、序文を書いた人の頭の中では、
フューチャリング蘭亭序という言葉が浮かんでいたのかもしれません。
また帥老の屋敷は、「大宰府〈だざいふ〉」にあり、
これは、今の福岡県の太宰府を指します。
大宰府は、地政学的に重要な土地ではありましたが、
後に、菅原道真公が左遷された地ということもありますし、
都からは遠く離れているので、
政治・文化の中心地とは言いがたいです。
つまり、田舎なので、
帰田賦の「田舎に引っ込みま〜す。」とは全く逆の状況にあるわけです。
また文選は「時の移ろいや老いに対する歌を詠んだものが多い」という特徴から考えると、
いい初春だねぇ。
人、いっぱい集まったねぇ。
白梅、きれいだねぇ。
こんないい日がずっと続くといいねぇ。
というどこかほのぼのとした万葉集の雰囲気とはそぐわない気もします。
これ以上は範囲外
また、オマージュ同士について成立した順番を考えると、
帰田賦→蘭亭序→杜審言の詩 となります。
ですから、蘭亭序や杜審言の詩も帰田賦をオマージュしているのかもしれませんし、
共通する漢字が含まれているのですが、
それは詠んでいる季節が「春」だから、ということであって、
似通った表現、漢字になったのかもしれません。
こうなってくると、
帰田賦、蘭亭序、杜審言の詩などをくわしく調べる必要が出てきますが、
もはやテーマが変わってくるのでここまでとしておきます。
参考文献
【元号「令和」の典拠について】シリーズの記事執筆に際し、以下の書籍を参考にいたしました。
プレミアムカラー 国語便覧
数研出版株式会社 2018年 (ISBN978-4-410-33912-7)
倫理用語集
山川出版社 2007年 (ISBN978-4-634-05213-0)
以下の記事一覧に他のボリュームのブログカードを載せています。
途中のボリュームからお読みになった方はこちらからどうぞ。