自分へのメッセージを残す【2024年2月と3月を振り返る】
2023年12月末に長距離の転居をすることになり、
12月中と2024年1月中は慌ただしい日々が続きました。
ブログ更新や、KDP出版も一時中断して、
荷造り荷ほどきにいそしむ毎日でした。
2024年2月と3月を少し振り返ってみようと思います。
継続運用できるタスク管理法はないのか〜?
原稿作成をしてみると、
いろいろと書きたいと思うし、
書きたいものがたくさんあることにも気づきました。
そして「紙を減らして神を呼ぶ」が今年の私のテーマですので、
一時的に原稿用紙が増えても、
効率よく本やブログとして発信し、
ネタストックも紙も減らしていく必要があります。
これまでもタスク管理の方法をいろいろと考えてきましたが、
継続して運用できませんでした。
運用できない原因はこれだったのか!
最たる理由は、
「過去または未来の自分との連携不足」です。
ポモドーロ・テクニックや、
ツァイガルニク効果などは、
10年近く前から知っていますが、
「不安を解消するひと手間」を怠ってきたことで、
うまく活用できませんでした。
「不安」というのは、具体的には
「中途半端に切り上げてすぐに再開できるだろうか」とか、
「再開するためのポイントを覚えておけるだろうか」というようなものです。
小手先では通用しない
ポモドーロ・テクニックとか、
ツァイガルニク効果というのは、
「中途半端なところで切り上げる」ことで、
潜在意識レベルで、再開したら完全にするぞ〜という欲求を高める
ブースター機能を期待するものです。
しかし、やりたいことがいっぱいある私は、
潜在意識下で複数のブースターを回し続けることになり、
あっという間にキャパシティを超えてしまいます。
そうなると、
現実的じゃないよね。
と思って、一日あたりでこなしたいタスクの数を制限するようになります。
時間割制みたいにして、週単位でタスクをこなせばうまくいくかな。とも思ったのですが、
週単位にすると、たしかに、一日あたりに回すブースターの数は減るのですが、
今度は、日をまたいで、ブースターを回し続ける必要が生じました。
結局、スケジュール管理レベルの対処では、
潜在意識下で回すブースターの数や、継続して回転させる労力が必要となり、
心理的負担が大きくなっていました。
すると、
ガシガシ作業を進めたい。
しかし、今の状態では、それは難しい。
もしかしたら、再開してもすぐに対応できないかもしれない。
という不安が生じてしまいます。
こうなると、日単位や週単位などでスケジュールを組んでいたとしても、
「再開してもすぐに作業に取りかかれないほうが、非効率だ!」と思いはじめ、
覚えておく必要がないところ、きりがいいところまでとことんやろう!
と心ゆくまで作業を続行してしまうわけです。
ひとつの作業は、こなされるわけですが、
それなりに時間をかけて組んだスケジュールを無視し、崩してしまった事実も突きつけられます。
そして、
などと、ヘコむわけです。
管理は記録があってこそ。
何度やってもうまく取り入れられないポモドーロ・テクニックとツァイガルニク効果。
日常的にタスクが山積しているので、
それらをこなすことばかりに気を取られ、
根本的な原因を究明しないで過ごしてきました。
しかし、じっくり考えてみると、
これまでの私は、「管理」ばかりに気を取られ、
「記録」を怠ってきたことに気が付きました。
こなすべきタスクをいつやるかという、「将来」のことばかりを考えて、
実際やってみたら、どこまで進んだか、どんな苦労・問題が発生したかという「過去」の記録を残さないでいたのです。
「過去」の記録というと、会社や学校では、日誌とか業務日報、週報などがありますが、
これは、場所やプロジェクトなどを同じくする複数の人間が、情報を共有するためのものですね。
しかし、私は、一人で活動しているので、
情報を共有するという考えが起こりませんでした。
簡単なライフログは残してきましたが、
具体的な記録や、それを踏まえて、今後どうするかという「将来の自分へのメッセージ」みたいなものを書いてこなかったのです。
「記録」を残し、今後必要なタスクを「管理」すれば、
潜在意識下で回すブースターの回転数を下げることができます。
そういう「ゆるゆるした状態」であるからこそ、
ツァイガルニク効果は発揮されるのです。
「自分を買いかぶってはいけない」と自戒するのですが、
自分のメモリの少なさを見落としていましたね。
「セーブポイント」を設置
タスクを書き出すとか、こなしたらチェックを入れるなどの
「管理」システムは、構築し、活用してきましたが、
「記録」の重要性に気づいていなかったので、
(自分ひとりのために、記録なんて無駄だと思っていた)
不安が生じて、「管理」システムそのものを無視してしまうという事態を招いていました。
高校一年生のときに数学を教えてくださった「柴田先生」の名言を思い出します。
「過去と未来の自分は他人(だから、ノートを充実させなさい)」
これまで、「自分」一人のために、記録を残すなんて。と思ってきましたが、
恩師の言葉に基づけば、
私一人の活動であっても、
「過去の自分」「現在の自分」「未来の自分」という3人が関わっているわけです。
記録を残さないでいい理由がありませんよね。
というわけで、「セーブポイント」のようなノートを作ることにしました。
現在、私は、3冊のファイルで、原稿を管理しています。
1冊は、原稿用紙を格納しておく「白紙」ファイル。
1冊は、書いた原稿を、デジタル化するまで格納しておく「一時保管」ファイル。
1冊は、これから書きたいこと(ネタ)やアイディアを格納しておく「ネタ」ファイル。
「セーブポイント」は、「ネタ」ファイルに格納しました。
やるべきことを書き出すと同時に、
実際にいつやったか、どのぐらい時間がかかっているか、などの進捗状況も書き込むようにしています。
「管理」と「記録」が集約されるので、
「記録」するときには、苦労や問題を踏まえて、再開時にやるべきことを具体的に書けますし、
状況把握のために過去を振り返る手間が減って、すぐに作業に取りかかれるようになります。
また、「記録」という根拠があるので、より効率のよいタスクの組み方を考えられるようになり、
より現実的で、合理性のある「管理」が行えるようになります。
セーブポイントなしはツライ。
もう四半世紀前に、「バイオハザード」とか「トゥームレイダー」などのゲームをやったことがありますが、
「バイオハザード」のセーブポイントって、ハープの音が聞こえるけど、どこか無音状態の安心安全な部屋ですよね。
実は、外でゾンビがうろうろしてるのに。
あんな薄そうな木の扉一枚隔てて、どうしてゾンビはプレイヤーの存在を見失ってしまうのか。
ゾンビたちも、「プレイヤーさん、セーブポイント中で〜す♪」って、
休憩してるんですかね。
当時は、
と心のなかでツッコんでいたものですが、
今、やっと理由がわかったような気がします。
ゲームとはいえ、心臓バクバクの状態から、ほっと一息つき、
再び外に出て、ゾンビと闘い、謎を解くための英気を養うための場所なんですよね。
めちゃめちゃ緊張感ありますもんね。
今、どこまで進んでいるのか、どんなアイテムを持っているのか、
そのアイテムのおかげでどのぐらい無茶ができるのか。
セーブポイントは、安心安全な状態で、
過去の自分と未来の自分を冷静に・確実につなぐために必要な場所だったのです。
これまでの私は、
いわば、初心者なのに、いきなりノーセーブのタイムトライアルをやろうとしていたようなものです。
キーピッキングと、無制限のピストルだけ持って、
タイラントと戦おうとしているようなもんでした。
(いや、そんな武器じゃタイラントにも会えないでしょう)
現場主義とか、臨機応変といえば言葉はいいですが、
実際には、場当たり的に、タスクをこなしてきたものの、
うまく「管理」ができない。という悩みを解消できないでいたわけです。
ある意味、この「セーブポイントなし」に何年もタスクをこなしてきたこと自体は、
我ながら感心しますが、
将来確実に限界が来ることがわかっているのに、
長らく恩師の名言を思い出さず、「そもそも論」に立ち返らなかった自分にあきれてもいます。(笑)
40代後半ぐらいから、やっぱり体力や気力の衰えは否めなくなってきました。
若い頃のように、無理が利かないことをいろいろな場面で感じるようになってきています。
気弱な発言のように思われるかもしれませんが、むしろ逆で、
無理をしなくていいような仕組みづくりをすればいいと考えています。
頼れるものや、利用・活用ができるものがあれば、
どんどん取り入れることで、
本来自分がやりたいことをあきらめないのが大事ではないかと思います。
この「セーブポイント」ノートも、そのひとつ。
大いに活用して、じゃんじゃんアウトプットしていこうと思います。
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