優秀作品をひたすら愛でてみる(その3)【生き残れ!読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!】
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前回に引き続き、第67回読書感想文全国コンクールの高等学校の部で、文部科学大臣賞を受賞した
富山県立富山中部高等学校2年 北林愛里咲さんの「世界を変えるために」を分析していきます。
(以下、北林さんとお呼びすることにいたします)
北林さんは、『わたしはマララ 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』 /学研パブリッシング/マララ・ユスフザイ(ハードカバー)を読み、読書感想文を書いています。
「まとめ」られる自分をアピール
北林さんは、前述の2つのエピソードを通じて、
マララの信念を自分なりの言葉でまとめていきます。
ここで、彼女は自らの「まとめ力」をアピールしていきます。
ちょっと脱線しますが、
この読書感想文シリーズを通じて、私はくどいほど「あらすじは書くな!」と書いてきました。
それは、あらすじにはまとめ力が必要となるからです。
しかし、子どもが、このまとめ力をつちかい、もつようになるのは相当な努力を要します。
まとめ力は、ある意味、母国語力も含めた、国語の総合力を意味するからです。
となると、教科としての国語を学び始めて間もないとか、
たとえ学習期間が長くとも、習熟レベルによっては、
無茶なこと、無理なこと、無謀なことをすることになりかねないのです。
数少ない自己PR、自己表現の練習機会を、無駄にしてほしくありません。
今回は、これができるようになろう!という明確な指示を出しておくことが、先生や子ども双方のためになります。
北林さんは、マララの言動などを、自分なりの言葉でまとめています。
これは、「私は、文章を理解し、咀嚼・反芻を通じて、自分なりの言葉にすることができますよ。」というアピールになります。
アピールのポイントになるのは、「自分なりの言葉に置き換える」ところです。
もしも、マララの言葉や考えを、本に書いてある通り、正確に引用したなら、これはレポート(報告)に近くなります。論文やレポートには再現性が求められるので、正確な引用をしなければなりません。
しかし、読書感想文の場合は、自己表現、自己アピールですから、
自分はこう解釈しましたよ。と書いても問題はないと思います。
読書感想文の本旨は、マララのすごさを称えるのではなく、(これならレビューで十分)
それを読み、理解し、自分の力に変えていける「私のすごさ、すばらしさ」をアピールすることなのです。
「どうです?まとめ力もある私、すごいでしょ?」
幼い頃からの志も高い、現状の打開策を求めてあがくガッツもある、
そして、国語的な総合力もある。
北林さん、マララに喝破される?!
くじけ気味だった北林さんは、マララのある言葉に釘付けになります。
「知識は武器だ」
この言葉は、受験に向け、勉強することの意義を見失いかけていた北林さんにとっては、
再び奮い立つような言葉だったろうと思います。
北林さんが医師を目指した原点は、幼い頃住んでいたバングラデシュの医療事情にありました。
私も、変えなければならない世界があることを知っていた。そのことに、マララのスピーチは気づかせてくれた。
富山県立富山中部高等学校2年 北林愛里咲さんの「世界を変えるために」
時空を越えて、言葉も越えて、北林さんはマララに呼びかけられたのでしょう。
「共に闘ってよ。」と。
また、マララはこんな乱暴な言葉は使わないでしょうが、
「くじけてんじゃね〜よ!」とも。
「あなたは、同志じゃないの。」とマララにたしなめられた思いがしたのではないでしょうか。
彼女は、マララの言葉により、瞬時に原点回帰し、現状に対する意義づけを新たにしていきます。
このあたりからは、力強く前向きな言葉が増え、しょぼくれていた彼女がみるみる変わっていくようすが読み取れます。
本の力を再認識
北林さんの読書感想文を読んで、本の力(もはや威力といってもいい)を再認識しました。
昨今は、コスパ(コストパフォーマンス)ならぬ、タイパ(タイムパフォーマンス)が重要視され、文字情報よりは視覚情報が優先されるどころか、動画すら倍速で見られてしまうような風潮があるそうですが、
じっくりと向き合うことで、人生すら変えてしまう本もあるんですよね。
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