読書感想文モドキが量産されるワケ。【生き残れ!読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!】
2022年現在の私の読書感想文に対する考えを書いています。
御一読いただければ幸いです。
記事を音読してみました
2022年10月12日、記事を音読してみました。
一発録りした上、編集なしでアップロードしております。
ちょっとかんだり、読み直しをしている部分があります。(ご了承ください)
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感想文というより「ファスト本」
勤めていた塾や学校で、生徒の書いた読書感想文を読む機会がありましたが、
多くがまぁ〜なかなか苦い経験なんですね。
半年ほど高校の非常勤講師を勤めた時、
前任者が担当していた頃に課されたと思われる芥川龍之介の『羅生門』の読書感想文を80人分読むことがありました。そのほとんどがあらすじだけで終わっていたり、正しいとはいえない解釈もありました。
前任者の指導がどうだったのかは、知るよしもないのですが、
コロナ禍ということもあり、おそらく十分な指導がなされぬまま、課題として出されたのだろうと思います。
そうなると、あらすじだけに終始する「ファスト本」のような読書感想文が量産されるのはいたしかたないのかもしれません。
たとえ十分に指導しても、その生徒の学習歴や国語力・はたまた本人の性格によっては、
「ファスト本」的感想文は出てしまいますが、生徒にとっても有益な経験となるよう、機会あるごとに指導をしていきたいものです。
国語教師の特権?
半ば愚痴に近いことを書いてしまいましたが、
嬉しくて小躍りしたくなるようなこともあります。
『文は人なり』とはよく言ったもので、
文章を読んで初めて、その子の新たな一面を知ることがあるのです。
原稿用紙を通じて、一斉授業や普段のようすからは思いもよらない考えや思いが伝わってくると、
ゾクゾク〜っとしますね。
だって、その子の意外な一面は、文章を読んだ私しか知らないのですから。
担任の先生も、他の教科担当の先生も知らない一面を私だけが垣間見てしまった。とちょっと得意な気持ちになるのは、国語教師の特権といえるでしょう。
なぜ「読書感想文モドキ」になるのか。
読書感想文は、今も昔も夏休みの宿題として当たり前に課されているようですが、
その割には、周到な指導もなされぬまま、原稿用紙が配られ、文字数の指定と提出日が示されるだけになっているように思います。
そして、夏休み明け、先生の机の上には、うず高い「ファスト本」の山ができあがります。
「読書感想文モドキ」は、課題を出した側、課題を「こなした」側の双方にとって何の得にもなりません。
「ファスト本」を書くことに教育的効果はありません。
「感想文モドキ」が量産されてしまう原因は、書く側、書かせる側双方に問題があります。
書く側(生徒側)の問題
ズバリ、「何を求められているのかがわかっていないから。」に尽きると思います。
毎年夏休みになると、当たり前のように課されるけれど、
もう当たり前過ぎて、何を書けばいいのか。を改めて考えたり、先生に問うてみようと思わなくなっているのかもしれません。
「読書感想文」って「本を読んで、感じたこと想った(考えた)ことを表した文章」ということになりますが、
結構中身はふわ〜っとしてますよね。
「感じた・想った(考えた)」ってどこまで?
「どういう動機があるとの前提で文章に表すのか」(表現というのは他者に伝えたい衝動があって起こるものですから、起こらない場合は書くのが難しいはずです)
課題を出した側は、自分の何を知りたくて課題を出したのか。
書かせる側(先生側)の問題
「何を求めているのかを伝えていないこと」に問題があります。
国語科以外の先生や、国語指導に苦手意識のある小学校の先生などが課題を出される場合には、
一度国語科の先生や、国語指導の得意な先生に相談なさってみるとよいかと思います。
念入りな仕込みをしておけば、それを汲み取った感想文が仕上がってくるはずですし、
何しろ、「思考力・判断力・表現力」が求められる生徒にとって、数少ない貴重な経験となるものです。
彼らが将来にむけて機会を有効活用できるよう、先生それぞれのできる範囲でよいですから、丁寧な仕込みをしてやってください。
一教師レベルの定義を押し付けろ!
「読書感想文」をやっつけ仕事の「ファスト本」「読書感想文モドキ」にしないためには、
書かせる側が、書く側に対して明確な判定基準を示すことが重要です。
たとえば、2022年の私の場合、
「読んだ本の内容をからめて自己PRできているかどうか」を判定基準にします。
(だから、あらすじしか書いてない場合は、私の判定基準からははずれることになります)
もちろん、なぜ自己PRが必要なのか、一口に自己PRというが、どういうことがそれにあたるのかなど、
詳しく説明もします。(説明するためには、求める側が深く考える必要も出てきます)
大人ほど、若い人の時間は無限にあると錯覚しています。
実は、若い人は、大人から「無限の可能性を秘めている」とか、
「若いうちにいろいろな経験を」なんて言われて、むちゃくちゃなスケジュールを組まれています。
だから、若い人は忙しいのです。相当に。
そんな若い人たちに、「私が何を求めているかじっくり考えなさい」なんてテイで、
読書感想文を課せば、どんな質のものが返ってくるかは想像に難くないでしょう。
それでいて、「ファスト本」のような「読書感想文モドキ」ばっかりだ!と嘆くのはお門違いも甚だしいと思います。
課題を出す側の、教師一個人としての定義でかまいませんから、
「読書感想文」に求めるものを明らかにし、
それについて詳しくわかりやすい説明をしてやってください。
マニュアル主義と揶揄されるかもしれませんが、
数学の計算問題や社会の暗記などと違い、
文章を書くことは、内省的な行為であり、
慣れないうちはある程度の指針を示してブレを低減させる必要があります。
忙しい彼らであっても、サクッと内省作業に入らせるためには、
何をすればいいのか、何を調えればいいのかを示しておくことが重要なのです。
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