人は「対比」で成長する【生き残れ!読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!】
記事を音読してみました
2022年10月14日、記事を音読してみました。
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読書感想文は、読書体験を通じて、本の中の登場人物の心情や言動などを、自身のそれらと「徹底的に対比」、
すなわち比べまくったことを書けば、ミッションクリアとなる課題です。
本の中には、実在、架空問わずさまざまな世界が広がっており、登場人物を通してこれまたさまざまな疑似体験ができます。読書は、人間的な成長を期するのにとてもコスパのよい体験であることは、いうまでもありません。
今回は「対比」によって得られる内面的な成長について書いてみようと思います。
「対比」して「差異」を認める
読書をして、著者の考えや、登場人物の言動や、その言動をするに至った心情などを自身のそれらと比べることで、
自己と他者には、差異(ちがい)があることを知ることができます。
差異については、いろんな人がいろんなことを言っています。
金子みすゞは、「みんなちがって、みんないい」と言っています。
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SMAPの「世界に一つだけの花」では、
「(それなのに)僕ら人間はどうしてこうも比べたがる?」と歌っています。
この場合の「比べる」は、ちがいがあることを認めるというよりは、
優劣をつけるために行っていることになります。
そして、優劣じゃない、それぞれが差異のある唯一無二の存在なんだとまとめています。
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もはや40代以上の世代限定でしょうか、
「ダバダ〜バ♪ダバダ〜♪ダバダ〜♪」という歌でおなじみのネスカフェ ゴールドブレンドのキャッチコピーは、
「ちがいのわかる男」ですね。
CMキャラクターに起用されるのが男性だったので、「ちがいのわかる男」と限定されていますが、
性別はこの際、気にしないことにして、
「ちがいがわかる」ということは、深く味わいのある人生を重ねてきた大人の証、
いわばステータスになっているんですね。
こうしてみると、多様性(ダイバーシティ)が叫ばれるようになったのは、ごく最近のことではないことがわかります。人間は長らく、自らが自由に生きるため、それぞれがもつ差異を認めるコミュニティを求めてきたのです。
小さな共通点があるかもしれませんが、丁寧に見分けていくと、差異があることに気づけます。
「私とあの人は違うんだ。」
似たところもあるけれど、そもそも別の人間であることを認識し、その差異を尊重する。
この繰り返しが、その人の寛容性を高めていきます。
寛容性というのは、
「自分はそうじゃないけれど、でも、そういう人がいることを認めるし、そういう人がいていいと思う」
ということですかね。
もちろん、寛容性にも限度はあります。
たとえば、人道的でない(他者の生命や生活をおびやかす)考えや行動は、認めるべきではありません。
そうではなくて、他者のもつ差異が、自分の生命や生活をおびやかすものでなければ、
認めあい、適度に折り合いをつけて生きていくことが寛容性だといえるのではないかと思います。
「差異」を分析する
せっかく「差異」を見つけられたなら、分析をしてみましょう。
なぜこのちがいが生まれたのか。
何が、自分と著者や登場人物を大きく分けているのか。
分析することで、その理由や原因があっさりとわかることもありますし、
またそうでないこともあるでしょう。
ちがいが生まれた原因が、本の中にはっきりと書かれてない場合は、想像してみてもかまいません。
想像力は心の豊かさに比例するものですが、その想像力も、いろんな本を読んだり、いろんな経験をしなければ養えない力ではあります。ですから、場合によっては広く深い想像ができないかもしれませんが、挑むこと自体がよい経験となります。
「差異」を縮める戦略を立てる
対比によって、著者や登場人物と自分の間に差異があるとわかり、
その差異が生まれた原因や理由が自分なりにわかったとします。
差異として気づくのは、いつか自分にも身につけばいいな。と思えるような好ましいものが多いはずです。
著者や登場人物は、一足先にその素敵な要素を身につけていることが多いですね。
著者や登場人物は、自分がまだ持ち合わせていない要素をそなえていて、
なぜそれをそなえているのかもわかっているのですから、
あとは、その要素を自分も身につけるにはどういうステップを踏めばよいかを考えるだけです。
この要素を身につけるための道程が、個性が出ておもしろいんです。
ナビで目的地を設定すると、複数のルートが出ますよね。
どのルートを選択するかによって、かかる時間やお金、途中で立ち寄れる場所なども変わってきます。
これと同じで、身につけたい要素はある程度固定されているけれど、そのアプローチ方法は、人それぞれ異なってくるのです。
読書感想文を読む側をワクワクさせて、(その後、この子はどうなるんだろう)と思わせるには、
このアプローチ方法を細かく考え、書き表すとよいかと思います。
「レベチ」にひるむな!
本によっては、著者や登場人物がすごすぎる場合があります。
少々の努力ではとうていたどりつけないくらい自分とはかけ離れた、いわば「レベチ」な存在である場合です。
そんなときは、あっさり開き直りましょう。
「すごすぎて、(すぐには)無理ッ!」と。(笑)
たとえ、著しい「レベチ」であっても、がっかりしたり、絶望する必要はありません。
年若い人の特権でもある無邪気さをもって、早々に退避してくればいいのです。
重要なのは、開き直りながらも、いくぶんかは近づく努力をすることです。
努力できることが微々たるものであっても、その経験がもたらす成長は大きいですからね。
思いをいたす経験は貴重。
ポジティブな「レベチ」もありますが、
ネガティブな「レベチ」を扱う本もありますね。
同じ年齢であっても、生まれた時代や環境が違ったことで、
自分には想像もつかない壮絶・過酷な経験をしている人はたくさんいます。
「(経験したのが)自分じゃなくてよかった」と思うだけなら、
読書をした意義はあまりありません。
たまたまその人がその人生で経験しただけで、生まれた時代や環境によっては、自分が経験する運命にあったかもしれないからです。
想像力は、楽しいことにたいしてはいくらでもはたらきますが、
つらいこと、苦しいことについてははたらきにくいものです。
写し取ったような鮮明な想像は無理でしょうが、
著者や登場人物の気持ちや考えについて、うすぼんやりとでも推し量ろうとする努力はしてみてください。
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