読みやすい記事を書きたい人がおさえるべき2つのもの。

2018年5月11日日々雑感, 日進月歩鋭意制作中。

読了時間: 約552

2018年5月12日に仮開設した当ブログ。望ましいブログの形にするべく、学んでは書き、書いては学びをを繰り返してきた。学びの成果を初期の記事にも活かしてやろうと試みるも、あえなく失敗した。というお話である。また、後半は、ブログ記事に必要なものが備わっていないため、過去ブログを完全削除したエピソードを書いておく。

初期と最近の記事にある3つの違い。

2018年6月6日正式オープンに向け、仮開設した当ブログ。
あれこれブログに関するハック記事を読み漁っては、少しずつ改善を繰り返してきた。
まだまだ発展途上ではあるが、書くたびによくなってきていると思う。

どうせなら、この学びの成果を、初期の記事にも活かしてやろう。と思い立ち、
ひとつずつ記事を編集しては、さかのぼっていった。
ところが、開設後数日に書いた記事は、修正不可能な状態だったのである。

ひと月と経っていないのに、初期と最近の記事には、大きく3つの違いがあった。

  • 記事中にアイキャッチ画像がつけられない。
  • 記事中に見出しがない。
  • 自分ファーストな記事となっている。

以下、ひとつずつ検証していきたいと思う。

記事中にアイキャッチ画像がつけられない。

最近読むブログ記事のほとんどは、OGPを意識してアイキャッチ画像がつけられている。
それらを見てきたので、私自身も、当ブログ開設当初から、意識してアイキャッチ画像をつけてきた。
しかし、最初のうちははOGP用の1枚のみである。

記事中のアイキャッチ画像の重要性は、まだ理解できていなかったため、全くつけていなかった。
いや、いまさらつけようにもつけられないのである。
無理にでもつけたいなら、ほぼ丸ごと書き直すことになるが、それはめんどくさい。
とうとう書き直しは諦めた。

今のところ思う、アイキャッチ画像の役割について

アイキャッチ画像は、インターセクションであり、次の話題の予告のようなものである。
文字の羅列にふと画像が現れれば、読者は、(あ、話題が変わるのかな。)と予想ができるし、
画像から次の話題がどんなものかを想像する。

まったく関連性のない画像だったとしても、それはそれで、(なんで、ここで◎◎なの?)と書き手にツッコミを入れることもできる。

また、キリがいいところだとも判断できるので、
書き手にとっては残念であるが、読者はその後を読まずに別のページに移動することもできるのだ。

記事内に少し遊びを持たせることで、読者は気分転換したり、その後を読む読まないの判断もできるのである。

記事中に見出しがない。

パラグラフライティングという文章作成法がある。
日本語では意味段落に近いのがパラグラフで、主張や簡単な見出しを文章の最初の方に持ってくることで、読者が飛ばし読みをしても内容を理解できるような文章を構成する。

ブログでは、ぜひパラグラフライティングを実践しようと思い、指南本も複数回読んでいたが、まだまだ意識できていなかった。

記事中の見出しは、パラグラフの始めの方にもってくるべき主張や重要事項の記述に当たると思う。

ぶっちゃけ、見出しだけ読めば読み飛ばしてもいいような作りにしておくことが、読者ファーストなブログと言えるだろう。

しかし、初期の記事は、見出しを設けていないため、読者には、段落の最後まで読むことを強いてしまっていた。

まだまだパラグラフライティングには程遠いが…

パラグラフライティングは、今後是非身につけたい技術のひとつである。
そして、それはやはり、数をこなさなければ身につかない。
本を読んだとはいうが、理解するまでにはまだまだ読み返さなければならないだろうし、本から学んだことを実践するには、まだまだ悪文も書き続けなければならない。
続けるしか上達の道はないのである。
それゆえ、せっかく来てくれた読者の方々には、まどろっこしい思いをさせるかもしれない。
申し訳なく思いつつも、その時その時できる最大限のことをやっていくしかないのである。

自分ファーストな記事となっている。

公開している記事が少ないため、訪問してくださる方も少ないのだが、リピーターが増えないのは、書いた自分だけが理解できる「自分ファースト」な記事である可能性がある。

書き手が記事の内容を理解しているのは当然だ。
しかし、それを単にアウトプットしても、読み手には伝わらない。
読み手が書き手と同じ思考回路かどうかは保証されていないからである。
どんなに有益な情報を開示したとしても、書き方がまずければ伝わらないのである。

自己満足な「ミステリーツアー」に誰がつきあう?

自分だけが理解できる記事は、いわば「ミステリーツアー」みたいなものだ。
「ミステリーツアー」は、集合場所と集合時間、解散時間だけが告げられている「着いてのお楽しみ」ツアーである。
ヒントも少しだけつけられているので、参加者も(ま、この辺に行くんだろうな。)という予想を立てて参加できる。
ツアー自体は、参加者の体力的負担を考えれば、移動距離が車で2時間前後だったり、途中で食事や休憩もとれるような場所でなくてはならない。

しかし、そのツアーの目的地が、みんなの憧れの場所だが、往復8時間かかるとしたらどうだろう。
参加者は、行く先も告げられず、ひたすらバスに乗せられる。
初めのうちは咲いていたおしゃべりの花もだんだんしおれ、寝息やいびきが聞こえてくる。
やっとついたころにはヘトヘト。

きれいな景色だろうと、心躍るアトラクションだろうと、帰りの4時間を思うとげんなりする。
どんなに魅力的な目的地でも、わけもわからず連れまわされる往復8時間を帳消しにはしてくれない。
それどころか、イライラと苦痛が残るだけだ。
あげくのはてには、そんなツアー会社、つぶれてしまえとも思うだろう。

読者ファーストとSEO対策を両立させる。

SEO対策としては、2000字~4000字ぐらいは欲しい。といわれている。
4000字といえば、原稿用紙10枚なので、書く方も読む方もなかなかの分量であるといえる。
自身が、有益な情報を持っているとか、伝えたいことがあるならば、まずはグーグル様に有益と認知してもらう条件を満たさねばならない。
そうなると、その分量の文字を書く必要はある。

一方、文字数が多くなれば、その分読者には負担をかける。
読みやすくなるよう、できる限りの工夫をし、「あ~、読んでよかった。」と思えるような記事づくりが必要だ。
その工夫がなければ、ただ無駄に4000字を書いただけとなってしまう。

人が文章を書くのは、その苦労をしても伝えたいことがあるからだ。
どうせ苦労するなら、自他ともによかったと思える文章にするべきである。
自分ファーストの文章を書きたいなら、日記でも書いておけばよい。

自分ファーストな過去のブログを丸ごと削除。

そんなわけで、初期の記事を修正するのは、あきらめた。
これはこれで残しておいて、自己の成長を感じるとか、戒めにするとか、それなりの役割を持たせよう。
そんなもっともらしい言い訳をつけ、放置することにしたのである。

また、このブログで可能な範囲の修正を行ううち、かつて他のブログサイトで書いていたことを思い出した。
特に何もしていないので、そのまんま残っているはずだ。

Left Caption

Lukia

(手直しして、使えそうな記事があったら移動させようかな。)


なんて軽い気持ちで見に行ったのだが、
まさに「自分ファースト」な記事のオンパレードに愕然とさせられた。
まったく使えないし、使いたくもない。

自己開示していない人のライフログなんて、誰が読むかよ。と、過去の自分に毒づくのであった。(笑)

ブログは3つあったが、どれも記事数は50以上あった。
しかし、各記事の閲覧者は両手で足りるほどだ。
残念な気持ちが強いが、それでもまぁ、よく来てくれた方だと思う。
扱うテーマが、かなり序盤で大きな山を迎えるタイプのものだったので、そもそも長続きしないのである。
たしかに、開設間もなくは、記事を連発していた。
前人未踏の断崖絶壁を素手で登っているような状態だった。
しかし、登りきってみると、山ははるか遠くまでなだらかな下りが続いていて、あれほどの興奮はどこへ?と、思うほど刺激がなくなるのである。

まだまだ、同じテーマでブログを書いている人を見かける。
しかし、目新しさはない。

山を越えてしまったら、そこでスパッと放置してしまうのもアリだ。
登っている最中の苦労や興奮を追体験したい人はいくらでもいる。
しかし、なまじブログランキングサイトに参加していたりすると、かつての栄光も忘れられない。

そこで、そのテーマから派生しているように見える「テーマもどき」を載せ続けるのだが、結果ブログ全体の印象を薄れさせてしまう。
ひどい場合は、もはやただの日報と化しているので、「このブログ、もうオススメしてこないで。」と、グーグルさんにいう始末だ。
グーグルさんも、しばらくは言うことを聞いてくれる。
しかし、そのうちまたなんだかんだでオススメしてくるので、「もう!オススメしてこないでって言ったでしょ?」とポチッとするの繰り返しである。

そんなわけで、過去のブログには、移動・修正してまで読者に開示したい情報はなかった。
見落とし防止とお別れの儀式がてら、最後にざっと読み通し、ブログを完全削除してしまった。
翌日、ブログランキングサイトから、「ブログが削除されてますけど!?」という趣旨のメールが届いたが、どこ吹く風である。(笑)

見出しとアイキャッチ画像を入れた「読者ファースト」な記事を書こう。

文字を「読む」「書く」という行為は、どちらもなかなか負担のあるものだ。
しかし、それだけに工夫を施して、互いを利するものとすれば、これほど有意義な行為もない。
どうせブログを書くなら、ブログ特有の「お作法」を理解し、体得して、世の中に利するメディアとしていきたいと思う。

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2018年5月11日日々雑感, 日進月歩鋭意制作中。

Posted by Lukia_74