「やる気」の考察
「受験生の本分は、受験勉強。」たしかにそうだ。
周囲の人もそう思っているだろうし、自分だって納得している。
でも、最近、やる気が出ない。やらねばならない。とは思っているが、つい別のことをやってしまう。
そもそも、「やる気」とは、どんなものなのか。
「受験勉強」の本質は何なのか。
はたまた、そんなぬるい言い訳をするぐらいなら、いっそ徹底的にやらないのはどうだろう。
これから数回にわたって、「やる気」や、「受験勉強」について、私なりの考えをお伝えする。
受験生の心の底にある、「やらないといけないのに。」という気持ちを底引き網漁のように、ごっそり陸揚げできれば幸いである。
モデルケースを設定する。
「やる気」が出ない原因は、人それぞれだ。
ゆえに、この記事を読んだって、「え~、私の理由とはちょっと違う。。。」と思う人もいるだろう。
そこで、モデルケースを設定する。
自分の「やる気が出ない」状況が、以下のモデルケースと異なるならば、あなたの貴重な時間を奪いかねないので、別の記事やサイトに移ることをオススメする。
- 志望先や志望校が決まっている。
- 「受験生の本分は受験勉強だ」と自分なりに納得している。
- 勉強しても、自身の不足ばかりが目について、やるべきことがちっとも減らない。
- 学力がついた気がせず、もうやらなくてもいいはずの基礎事項に戻ってしまう。
- 自分のそういう堂々巡りがいやになる。
- 苦手を克服するべきなのに、違うことをやってしまう。
あれ?やってもやっても、やることが減らない。(汗)
高校(中学)二年生・三学期の終業式のころ、いよいよ本格的な受験勉強に向け、あなたには希望もやる気もあったはずだ。
周囲も、あなたの見方を変える。3月までは、「ただの高校生(中学生)」だったのに、4月から「受験生」というように。
妙にピリッとした顔をして、口うるさくなったり、気を遣ったりする。周囲の変化を、なんとなく煩わしく思いつつも、自身は、本格的な受験勉強を始める。
初めのうちはやる気もあるから、自己最長の勉強時間を更新して、自分で驚く。なんてこともあるだろう。しかし、やっていくうちにあることに気づく。
「あれ?やってもやっても、やることが減らない。(汗)」
自分の見積もりの甘さが、はやばやとあらわになるのである。
そうなった人に、一言いいたい。

Lukia
「受験生」デビュー、おめでとう!ようこそ、「受験勉強」の世界へ。
「(未然形の)やる気」から「(〇〇形の)やる気」へ。
ひとことで「やる気」とはいうが、実際には指している「気」が微妙に違う。
「受験勉強」の世界にデビューした「受験生」のあなたは、「やる気」の意味を脳内変換しなければならない。
それは「(未然形の)やる気」だった。
3月や4月の初旬にあなたにあった「やる気」は、
言い換えるなら、「まだやってないころに持つ意欲」を指す。
古典文法でいえば、「未然形」ってヤツだ。
「まだそうなっていない」のである。
「まだそうなっていない」から、人は大きな希望が持てるし、
なんでもできるような気がしてしまう。かかる時間や労力の見積もりが甘くなってしまうのである。
でも、それはそれでいい。誰にとっても当たり前のことだ。
あなただけではないから、必要以上に落ち込むことはない。
しかし、残された「受験勉強」時間は、刻々と減っている。
「受験生」に、「やる気が出ない。。。」なんてぬるい言い訳をしているヒマはないのである。
さっさと「やる気」という言葉の意味を脳内変換して、「受験勉強」の世界に戻っていこう。
「(已然形・進行形の)やる気」に脳内変換する。
これまであなたが持っていた「やる気」が、未然形のそれだった。ということがわかった。
未然形の「やる気」は、言ってみれば「受験勉強」の世界へのパスポートみたいなものだ。
入国してしまえば、再び出国するまで保持しておくしかない。あとは、ときどき入国の理由の正当性確認するために見るぐらいか。
ということは、すでに「受験勉強」の世界に足を踏み入れてしまった以上、
「(未然形の)やる気」では、自分を支えられない。
「やり始めている」のに、「まだやってない頃の意欲」で自分を支えるというのは、どうにも矛盾している。
たとえ始めて間もないとしても、受験勉強を始めたあなたは、古典文法なら「已然形(いぜんけい:すでにそうなっている)」とか、英語なら現在進行形の状態なのである。
ひとくちに「やる気」とはいうが、ここからは、
「やり続ける意欲」に脳内変換し、切り替えなければならないのである。
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