「受験勉強」の本質

前回、「やる気」には、「(未然形の)やる気」と「(已然形・進行形の)やる気」があるとお伝えした。
今回は、「受験勉強」の本質とは何か。を私なりに明らかにし、「やってもやっても、やることが減らない」理由をお伝えしようと思う。
「受験勉強」の本質
時間がない人は、ここだけ読んで終わってほしい。
「受験勉強」の本質とは、ズバリ、
「試験日までに、自身の不足を見つけ出して、補っておくこと」
だ。
試験日に間に合わなければ意味がないし、試験問題のほとんどは、あなたに不足しているところから出題される。(まぁ、時々、基礎的事項を確認して、プチパニックに陥れるようなこともあるが。)
簡単に言うと、上記のことをこなせれば、入試においてこわいものはないのだ。
たしかに、言っていることはとてもシンプルだ。しかし、いざ「受験勉強」を始めてみるとそうはいかない。「受験勉強」を始める前のイメージと、その実状は、まったく異なるものだからである。
以下、「受験勉強」を「高い塔に登るミッション」にたとえてみようと思う。
とうとう「ミッション」がやってきた。
ある日あなたのもとに、とある「ミッション」の通知が届く。
「期限までに、高い塔のてっぺんに登る」というものだ。
あなたはこれまで、その高い塔を見たことはあるが、登ったことはない。
遠目に映る塔は、とても美しい。眺めがすばらしいという噂は聞いているが、あんだけ高いなら当然だろうとも思う。
また、登るのは「ちょっと」大変なのだが、達成感はハンパないという噂も聞いている。
大人気の塔なので、あなたに順番が回ってくるまでには、時間がかかっていたが、ようやくその機会が与えられたのだ。
ワクワクドキドキしながら、あなたは塔のある場所まで向かう。出発地点からも、その塔は見える。きれいな塔だ。
道中のあなたは、こんなことを考えながら歩く。

あなた
「大変」とは聞いているけど、自分は登る気力も満々だし、体力もあるから、わりとすぐ登れちゃうんじゃないかな。少しずつ高くなっていけば、周囲の景色のきれいさにも助けられるだろうし。
まぁ、少々大変でも、登っていけばいつかは着くんだから、とにかく登っていくだけよ。
塔に関する驚愕の事実(その1)
塔の下に着いた。
すると、あなたと同様、今回の「ミッション」が通知された人が集まっている。期待と不安が入り混じった表情と、お互いを励まし合う言葉が飛び交っている。興奮と熱気で、あなたの顔も紅潮し、背中がゾクゾクしてきた。
そして、いよいよ、塔の入口の扉が開かれた。
ほかの人たちにまじって、あなたも入口に向かう。
しかし、入口付近は混雑したままだ。
なぜ、すんなり進まないのか。エレベーターの台数が少ないのかしら。
ほどなく、あなたは驚愕の事実を知る。
なんと、こんなに高い塔なのに、エレベーターがなかったのだ。
この塔は、階段が設置されただけのシンプルな構造だったのである。
外観はあんなにも美しいのに、内部はおどろおどろしいものだった。壁には以前に登った人たちの手形がついていたり、恨み言が書きなぐられたりしていた。また、階段のポールには、楽をして登ろうと試みた人がいたのだろう、滑車が吊り下げられた形跡がある。とにかく、いたるところに先に登った人たちの苦闘の痕跡が生々しく刻まれていた。
塔に関する驚愕の事実(その2)
見上げても、階段の尽きる場所はわからない。しかし、もう後戻りもできない。扉はガッチリと閉じられてしまい、簡単な理由ではリタイアさせてもらえそうにないのである。
割り切れない思いを抱えたまま、あなたは登り始める。
また、「登る」というルーティン作業に慣れて、余裕の出てきたあなたは、こう考える。

あなた
周囲の人もそんな思いにかられたのだろう。
これから大変そうだ。ということを確認し、それぞれが持っている情報をつきあわせて、この塔の正確な姿を把握しようとし始める。
塔の高さがわかれば、階段のだいたいの数がわかるだろう。
逆に階段の数がわかれば、塔の高さを推測することができる。
しかし、そんな淡い期待は、もろくも打ち砕かれた。
経験者から伝え聞いた情報をまとめると、以下のようであった。
- 経験者たちは、誰も正確な塔の高さを知らなかった。
- 塔の高さを問われると、感覚として〇メートルぐらいと答えた。当然、人によって、高さは異なっていた。
- 階段の段数も、多すぎて数えられなかった。
- 階段を登り切った!と思っても、レベルに応じて、新たな階段が現れ、さらに登らねばならなかった。
- 楽に登る方法を試した人もいるようだが、成功したかどうかはわからない。
- 期限内に登り切ったのかというと、みんな答えがあいまいだった。

Lukia
映画「CUBE」みたいな、絶望的設定になってきました。(^◇^;)
あなたは、「前人未踏の塔」を登り始めた。
経験者たちの情報をつきあせてみてわかったことは、
塔には正確な高さも、階段の段数もない。ということだった。
つまり、人によって違うのである。
ひとまず、経験者たちの情報に、希望の持てる情報はなかったので、今度は、今回「ミッション」を共にしている人同士の境遇を確認してみた。
しかし、それぞれに見えている塔の外観も、階段の段数も、なんなら、一段あたりの高さも、異なっていたのである。
ただ、「同じ塔の中にいて、階段を上っている」だけで、
あなたとまったく同じ塔に登る人はいなかった。
つまり、あなたは、たった一人で、「前人未踏の塔」を登り始めたのである。
「前人未踏の塔」だから、階段が何段あるかもわからないし、
塔の高さもわからない。
「のぼってものぼっても、階段はさらに続いていく」が、今は階段に終わりがあると信じて、とにかく登り続けるしかない。
そのうち、階段の段数を数えることも忘れてしまうのである。
経験者のアドバイスは、あてにならない。
塔のたとえから、「受験勉強」において、経験者のアドバイスを求めても、あまり意味がないことはおわかりいただけただろう。
不安な時、情報を求めて安心したい気持ちはわかる。
しかし、あなたにとってその情報が適切か・的確かどうかはわからない。
繰り返しになるが、「受験勉強」を始めた時点で持ち合わせている能力や志望先は、人によって違う。
能力と志望先に違いがあれば、上るべき階段の段数だって違うはずだ。
さらに、経験者だって、自分の塔を登っている最中は登ることに一生懸命で、階段の段数を覚えていられない。
また、自分の塔の最上にたどり着き、そこからの光景を一望したとたん、それまでの苦労を忘れてしまうので、ぼんやりしたことしか言えないのである。まぁ、それと、かけた時間も長いので、ひとくちにアドバイスすることは難しいだろう。
あなた以前にあなたの人生を生きた人がいない以上、
ぴったりのアドバイスなんて求めるだけ無駄なのである。
みんなちがつて、 みんないい。
金子みすゞ 『私と小鳥と鈴と』
有名な詩人だって、そういっている。
あなたは、自身が登ると決めた塔を、
自分が信じた方法で、確実に登っていくしかないし、
それでいいのである。
「そんなに自分を買いかぶってどうする。」
「前人未踏の塔」は、あなただけのために作られた塔だ。あなたの現在の能力や、志望先の難易度に応じて、まるで生き物のようにぐにゃぐにゃと姿を変える。
受験勉強を始めるまでに培った能力に差があれば、階段の段数や一段あたりの高さが、その人ごとに違うのもわかるだろう。
たとえ難しい問題でも、1回で理解できる人もいれば、数回やって理解できる人もいる。はたまた、もっと細分化してステップアップしなければいけない人もいる。
もちろん期限があるので、ペースをつかむために、ほかの人たちの進度を意識することは大切だ。まったく不要とはいわない。
しかし、意識しすぎたり、比較して卑屈になるのは間違いだ。
たいていは、自分よりはるかにできる人と比べて、
自己嫌悪に陥る。
あえて言おう。
そんなに自分を買いかぶってどうする。
自分を卑下する時間があるなら、英単語の一個でも、数学の公式の一つでも覚えたほうがいい。