インフルエンサーになろう【生き残れ!読書感想文は自己表現のサバイバルゲームだ!】

インフルエンサーになろう
読書感想文を書こうとして気が重くなる人は、少なからずいると思います。
しかし、表現力や、自己表現は、これからの時代を生きる人には欠かせない素養であるので、
文章を書く機会をおろそかにすることはできません。
そこで、今回、「インフルエンサー」になりきって文章を書くことをご提案します。
さて。
あらためて、「インフルエンサー」とは何か。その定義を調べてみました。
「インフルエンサー」とは主にSNSでの情報発信によって世間や人の思考、行動に対して大きな影響を与える人物の総称です。
影響や感化、効果作用を表す「Influence」が語源とされています。
特に、SNSを中心とするCGM(Consumer Generated Media・消費者発信メディア)が情報伝達の中心となっている現代において、多くのフォロワーを持つオピニオンリーダーのことを指す場合も多いです。
(世間や人の思考、行動に対して大きな影響を与える人物になんてなれるの?)
と怖気づいちゃった人がいるかもしれませんが、
世間や他者に大きな影響を与えようとか、世界をごろっと変えてやろうなんて野望を持てといっているのではありません。
「インフルエンサー」になったつもりで書けばいいのです。
どういう表現をすれば、世間や他者に影響を与えられるだろうか。と考えながら書いてほしいのです。
インフルエンサーの欲求の根源は?
自分の中で程度の軽重はあるでしょうが、変化があったとき、
それを誰かに伝えたくなるものです。
誰が読んでくれるかはわからないけれど、この自らに起こった変化を問わず語りでもいいから発信したい。
同様の小さな変化が、他の人にも起これば、世間や日々の過ごし方が変わるんじゃないか。
インフルエンサーと呼ばれる人たちが情報発信する原動力は、
自身の小さな変化に対する感動だろうと思います。
そしてこの感動を不特定多数の人たちと共有したいという欲求に突き動かされているのでしょう。
読書感想文も同じです。
「自分の中で起こった小さな変化に対する感動を他者と共有したい」という感情をもてば、
書きやすくなります。
受信者を想定しないとしんどい

Lukia
「きつい」とか「つらい」の意味で使っています。
文章は、表現の一種です。
そして、表現は、感動や思想などを他者と共有したい、他者に理解してほしいという欲求のあらわれです。
ということは、
「この気持ち、誰かに伝えたい!わかってほしい!」という欲求がなかったり、
共有したい・理解してほしい他者を想定しなければ、ただただしんどい作業になることを意味します。
エネルギーと受信者のペルソナの想定なくして、文章は書けない。ということです。
文章の力強さ(主に説得力)は、受信者が誰か。どんな人かを意識するかどうかで、左右されるように思います。
たとえば、手紙やメールは、受信者(読み手)がはっきりと想定されています。
相手に自分をよく思ってほしいとか、理解してほしいという欲求もわきやすいでしょうし、
相手との親しさに応じて、文体や内容の細かさなども変わってくると思います。
読書感想文だってペルソナが必要だ
読書感想文も実は、この手紙やメールと変わらないものと考えたほうがいいのです。
読み手は先生になるでしょうが、どんな人か、自分のどんなところを書けば、その人は喜ぶかということを、
本を読む前の段階ぐらいで想定しておけば、本の選び方、本の読み方、自己表現としての読書感想文の書き方がごろっと変わってくるはずです。

Lukia
ドラマや小説の人物のように、名前・性別・年齢・家族構成・職種・経歴・好きなもの・嫌いなものなどを細かく設定することで、
商品を購入してほしいターゲット層をしぼりこみ、魅力的な商品開発が目指せます。
時間や労力をかけて、本を読み、文章を書くのですから、それに応じた報酬を得たいものですよね。
この場合、報酬は、「自身の評価が高まること」や「自身に対する信頼性が高まること(権威性)」となります。

Lukia
「あの人は、常に最新のよいものを知っている」と思われることを目指しています。
読書感想文で、読み手を想定した文章を書く練習をすることは、思考力・表現力を高めます。
ここで培った力は、入学試験・入社試験などで文章を書く機会に必ず活かされるはずです。
「文は人なり」はホントです
「他者に好かれるような・よく思われるような文章を書く」というと、
媚びを売っているとか、卑屈な捉え方をする方もあるでしょうが、
わざわざ他者に嫌われる・疎ましく思われる書き方をする必要はありません。
読み手だって、時間や労力を使って、あなたの文章と向き合うのです。
その労をねぎらう姿勢は持つべきですね。
「文は人なり」ということわざがありますが、あれはまさにそのとおりです。
「読んだけど、その時間が無駄だった。」は、
「他者の時間(命)を無駄にする思いやりのない人で、一緒にいても得られるものは何もない」という評価につながりますし、
「投げやりで、自分勝手な文章を書く人だなぁ。」は、
「何事も自分の気分次第で行動する思いやりのない人」という評価になります。

Lukia
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今や、「Giver(与える人)」が高い評価を得て、よい人間関係を構築し、社会で成功をおさめるようになってきたそうです。
逆に「Taker(奪う人)」や「FreeRider(タダ乗りする人)」は、社会から疎まれ、排除されるようになっているそうです。
つまり、人柄重視の世の中になりつつあるということはないかと思います。
読む人の時間(命)を浪費させない思いやりを
若い人たちの間では、コスパならぬタイパ(タイムパフォーマンス)が重要視されるようになってきているといいますが、時間は、まさに命そのものです。
先生に読書感想文を読んでもらうということは、
あなたよりは十数年以上老い先の短い人の貴重な命を費やしてもらうことを意味します。
「そもそも、そんな課題出さなかったらいいじゃない!」なんて思わず、
自身の自己表現力を高める機会につきあってもらっている。ぐらいの謙虚な気持ちで臨みましょう。
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