「小さな失敗」から生じた「苦手意識」をそのままにすると、「〇〇」になる。(その2)
前回の記事で、私の体験から「苦手意識」が「小さな失敗」から生じることをお伝えした。今回は、いよいよ、その「苦手意識」が引き起こす恐ろしい「〇〇」の正体をお伝えしようと思う。
「苦手意識」の由来を自己分析してみる。
私は、運転するのは好きだし、運転技術が全くないわけでもない。(人を乗せて怖がられたことはない。)
しかし、バックに対する苦手意識を理由に、運転の楽しさ、車の便利さを放棄してきた。すごくもったいないことだと思う。
さて、この苦手意識、どこから来るのか。と考えると、父親の影響かもしれない。
自動車学校ではなかなかの優等生だったのに、
父は、車と娘を愛するがゆえか、妙にハイレベルの運転技術を要求してきた。
当然、学校を卒業したばかりの初心者にそんなことできるわけがない。
父は、それを理由に私を運転することから遠ざけた。
たしかに父は、車も娘も安全な状態におくことに成功した。
しかし、私はいつまでも技術を磨けない。
技術は、失敗したり、怖い思いをしなければ身につかない。
ショック体験にもレベルがある。
初心者は、初心者だからこそのショックな体験をする。
当然だ。新しいことを始めたんだから。
でも、それは、
「初心者ならではの・初心者にちょうどいいショック」なのだ。
つまり、ショック体験にもレベルがあるのだ。
初心者は、知識が未熟で、経験も浅いから、後で振り返ればそんなに大騒ぎするようなことでもないショックを大きく言い立てる。まさに、針小棒大(しんしょうぼうだい)だ。
針小棒大(読み)シンショウボウダイ
デジタル大辞泉の解説
しんしょう‐ぼうだい〔シンセウ‐〕【針小棒大】[名・形動]《針のように小さいことを棒のように大きく言う意から》小さい事柄を大げさに誇張して言いたてること。また、そのさま。「針小棒大に言い触らす」
失敗とは転ぶことではなく、そのまま起き上がらないことなの。
カナダの女優、メアリー・ピックフォードの言葉だそうだ。
なんとも、耳の痛い言葉である。
さて、レベルに合ったショック体験をそのままにしておけるかどうかは、環境にもよるだろう。
私の場合は、周囲に運転してくれる人がいたので、切迫感がなく、そのままにしてしまった。
しかし、これが誰にも頼れない状態だったら、話は違ってくる。
「ケンちゃんのおばちゃん」
おさななじみのお母さん、「ケンちゃんのおばちゃん」
(当時は、「ケンちゃんママ」なんてハイカラな呼び方はしない。)は、免許を取ってしばらくペーパードライバーだったのを克服した。
理由は、
「子供が熱を出した時、一人でも病院に連れていきたいから。」
まさに、母の愛である。
ケンちゃんはよく扁桃腺を腫らしていたので、おばちゃんは、ケンちゃんに負担をかけずに病院に連れて行きたかったんだろう。
ひさかたぶりに運転することの不安や恐怖よりも、ケンちゃんを早く楽にしてやりたい。という母心がまさったのである。
あなたに、「ケンちゃん」はいるか。
人は、自分のためだけに頑張るのは難しい。「ケンちゃんのおばちゃん」のように、「ケンちゃん」という存在や理由があれば、頑張れるものである。
初心者レベルのショックを体験した際に、どのぐらい間をおいてしまうかは、案外こういう要因にかかっているのかもしれない。
じゃ、「ケンちゃん」がいなかったら、先に進まなくていいのか。というと、それは、「ケンちゃん」の不在をいいわけにするようで、違う気がする。
始めたことに対して本意・不本意の別はあるだろうが、
しばらくはやってみないと、自分にとって「本当の向き不向き」はわからない。
ショックを受けて、数時間なり、2、3日落ち込むのはいい。
しかし、できるだけ早く行動し始めることが大切だ。
ショックが癒えるまで。なんてのんきなことを言って、間をおけばおくほど、
単なる「初心者にありがちな苦手ポイント」から、
「何度やっても克服できない苦手事項」に変化してしまう(思い込んでしまう)のである。

Lukia
成功に向かう唯一の方法は、はじめにたくさん失敗すること。
The only way you are going to have success is to have lots of failures first.
誰の言葉かわからないのだが、的を射た言葉である。
「苦手意識」は、いつしか「呪い」に変わる。
ショックな体験をしたら、「時間が解決してくれる。」と言われることがある。
たしかに、体験の内容によっては、そういうこともあるだろう。
しかし、技術や知識の習得などに関しては、間違いと断言していいと思う。
始めて間もないころにやらかす失敗は、あとで振り返れば小さなものだ。とはいえ、当時は、ショックを受けるし、ネガティブな感情も発生する。
しかし、その失敗を克服しないまま間をおくと、「時間が解決してくれる」どころか、
「時間」が、ネガティブな感情だけを肥大化させ、やがて「呪い」にまで醸成させてしまう。
さらに、「呪い」は、「時間」が生み出したものではない。
「自分自身」が「時間をかけて」生み出したものなのである。
間をおいていいショックと、間をおくべきでないショックがあることを知っておかないと、自分で自分に「呪い」をかけてしまうのである。なんとも恐ろしいではないか。

Lukia
さてさて、また長くなってしまったので、ここまでとしましょう。
次回は、「呪い」をかける理由を考えてみます。
では、次回まで、さよならッ、さよならッ、さよならッ。
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